四季・めぐりめぐりて

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将軍神社(埼玉県嵐山町)

2017年11月04日 | 神社仏閣


名 称:将軍神社
祭 神:坂上田村麻呂
創 建:不詳
所在地:埼玉県比企郡嵐山町将軍沢425

嵐山町将軍沢地内を笛吹峠方向に進む途中の左手に鳥居があり、その傍らに「村社 日吉神社」の社号標が建って
います。しかし、興味を抱いたのは、その鳥居からわずかに離れたの前方にあるふたつの石標です。
ひとつは近年建てられた「入口 武蔵国将軍ノ澤村 坂上田村麻呂将軍塚」と刻まれたもの
もうひとつは小さなもので「田村将軍入口」と刻まれています。

将軍塚とは、征夷大将軍坂上田村麻呂が奥州征伐の時、この地で一夜を過ごし、陣営地であることを示す旗を立て
た塚のことで、この塚の上に坂上田村麻呂を祀ったのが将軍神社だと言われているようです。ただ、初めからここ
にあったわけでなく別の場所(旧字大宮)にあり、大宮権現社と号していたようですが、明治7年(1874)3月当所
に奉遷し将軍社と改称したようです。
また、異説(史料)では、鎮守府将軍藤原利仁がこの地を通り、腰掛けて休んだという塚のことを指し、この塚の
上に藤原利仁の霊を祀るため建てたのものであるというのがあるようです。
両者の違うところは、将軍は将軍でも坂上田村麻呂と藤原利仁との違い。塚に旗を立てたのと、塚に腰掛けたとの
違いくらいです。
このあたりの地名を将軍沢というのは、どちらかの将軍からきているのは間違いないようですが、付近には、遠征
中の坂上田村麻呂を心配して追いかけてきた奥方を追い返したという縁切橋など坂上田村麻呂に纏わる言い伝えが
多くあることから、征夷大将軍坂上田村麻呂説のほうが有力で、将軍神社は坂上田村麻呂を祀った神社ということ
になっているようです。




坂上田村麻呂将軍塚石標 大行院が平成13年(2001)に日吉神社の参道を奉納(改修)したのを記念して建てた
もののようです




田村将軍入口石標




先ほどの日吉神社の参道を進むと突き当りに境内社でありながらも鳥居のある「将軍神社」があります。




この写真ではよくわかりませんが、格子の上に「将軍神社」と書かれた木札が貼ってあります。




格子の間から中を覗いてみますと、両開きの格子戸がありその中に小さな祠が鎮座していますが、これが将軍神社
の御神体のようです。




日吉神社の本殿です。将軍神社に向かって左手のほうに位置しています。将軍神社以外の境内社が3社ありますが、
この記事の主役に遠慮して写真はありません。

散策日:平成29年(2017)10月17日(火)

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