四季・めぐりめぐりて

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万葉遺跡 小埼沼(埼玉県行田市)

2019年11月27日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:万葉遺跡 小埼沼 (まんよういせき おさきぬま)
概 要:小埼沼は、現在では小さな池が残るだけであるが、上代の東京湾の入江の名残りともいわれ、「埼
    玉の津」万葉集の遺跡とされる。宝暦3年(1753)忍城主阿部正允(まさちか)によって建てられ
    た万葉歌碑がある。
指 定:埼玉県指定旧跡(名称:万葉遺跡 小埼沼 (昭和36年(1961)9月1日指定)
所在地:埼玉県行田市埼玉2636-3

万葉集には小埼沼について歌われているものが2首存在(巻9-1744・巻14-3380)し、ここ行田市埼玉の小
埼沼が歌のその場所とされてきた。そんな万葉遺跡を訪ねてみました。




田園の中にある小さな森の中に万葉遺跡小埼沼はあります




正面に見える鳥居は尾崎沼神社(宇賀神社)の鳥居




尾崎沼神社(宇賀神社)の鳥居と祠  祠の右横に見えるのが古代蓮公園の展望塔




尾崎沼神社(宇賀神社)の祠 




遺跡入口には「埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 小埼沼」説明板と「小埼沼」の標柱




「埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 小埼沼」説明板
説明文末尾に、〈残念ながら、現在ではこの池が埋没したローム台地上に位置していることが判明しており、
かつて「埼玉の津」であった可能性は極めて低いものと考えられていますが、・・・〉とあります。
正直、遺跡と呼ばれるものの中にはこうした類いのものが少なからずあるようです。




「小埼沼史跡保存碑」 大正14年(1925)建立の碑
苔などで判読しにくい状態ですが、表には和歌が3首と遺跡が荒廃してきたため、保存会を組織して、小埼
沼の跡を後世に残そうとした趣旨。
碑陰には、名誉賛助員の氏名や「小埼沼史跡保存会」の多くの会員氏名がびっしりと刻まれているようです。




今は小さく水も枯れていますが、埼玉の津・小埼沼の姿




反対側から




池の渕に建つ「水神社」碑




「水神社」碑は何と板碑を転用しています




「弁財天」 寛政7年(1795)建立




「武蔵小埼沼」碑
宝暦3年(1753)忍城主阿部正允(まさちか)によって建てられた万葉歌碑
元々はなかった花立と線香置きがいつの間にか置かれて、墓石(墓所)と見間違います




石碑背面(写真左側)には万葉集の歌2首が刻まれています
                  
『万葉集』巻9-1744  雑歌

  原文: 前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯
  読み: 埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨ぞ翼(はね)切る 己(おの)が尾に降り置ける霜を
       掃(はら)ふとにあらし
  大意: 埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたをしていてしぶきを飛ばしている。ああ、あれは、羽に降り積もっ
      た霜を払い落としているのですね。


『万葉集』巻14-3380  東歌 武蔵国 相聞

  原文: 佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢
  読み: 埼玉(さきたま)の津(つ)に居る船の風を疾(いた)み綱(つな)は絶(た)ゆとも言(こと)な
      絶えそね
  大意: 埼玉の津に繋留(けいりゅう)されている船のように、風が激しくて、もやい綱が切れてしまっても、
      二人の間の愛の言葉は絶やさないでほしい。

上記2首は高橋蓮虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の歌集の中にあるもの


石碑右側面(写真右側)
この碑を建てた目的をあらわした文章で、碑文では武蔵小埼沼はここだと断定しており、そのことを後世に
残すことが、この碑を建てた理由だったと書かれ(刻まれ)ているとのようです。

石碑左側面(写真掲載梨)には、建立日と建立者忍城主阿部正允等が刻まれています




小埼沼の東側にある天祥神宮
近年建立の個人持ちの神社だったようで、社も朽ちて草が生い茂っています。




天祥神宮のものか小埼沼のものかはわかりませんが、四阿も今は朽ちています。かつては参拝者の休憩場所に
なっていたのでしょう。

散策日:令和元年(2019)11月12日(火)

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