四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

伝木曽義仲産湯の清水のある『鎌形八幡神社』(埼玉県嵐山町)

2020年10月20日 | 神社仏閣


社 号:八幡神社(はちまん じんじゃ)
別 称:鎌形八幡神社
御祭神:・誉田別命(ほむだわけのみこと)
    ・比売大神(ひめのおおかみ)
    ・神功皇后(じんぐうこうごう)
創 祀:坂上田村麻呂 
創 建:延暦年間 (782~806年)
社 格:旧郷社
例 祭:不明
指 定:・町指定有形文化財(名称:貞和の懸仏 昭和36年〔1961〕8月31日指定)
    ・町指定記念物史跡(名称:伝木曽義仲産湯の清水 昭和37年〔1962〕9月1日指定)
    ・町指定有形文化財(名称:鎌形八幡神社本殿 昭和60年〔1985〕12月1日指定)
鎮座地:埼玉県比企郡嵐山町鎌形1993

鎌形八幡神社は、平安時代初期の延暦年間 に坂上田村麻呂が宇佐八幡宮の御霊を迎えて祀ったの
が始めだと言い伝えられています。その後は源氏の氏神として大切にされ、境内には『伝木曽義仲
産湯の清水」もあります。2年置き位で参詣・参詣しております。
この鎌形八幡神社については、過去に少しだけ触れたことがありますが、投稿し直そうと今回訪問
してきました。
当社に関してはまだまだ分からない事柄が多くありますがおいおい調べていきたいと思います。




鎌形八幡神社入口




境内  『一の鳥居』と『社号標』(【郷社 八幡神社】)
社号標の裏面には【昭和二年八月一日昇格】とあり




『参道』と『一の鳥居』




『鎌形八幡神社』説明板




一の鳥居の右横に設置されている「貞和の懸仏」説明板

町指定有形文化財 工芸品  貞 和 の 懸 仏(じょうわ の かけぼとけ)
   指 定  昭和三十六年八月三十一日
   所 在  大字鎌形  鎌形八幡神社
   時 代  貞和四年(一三四八)南北朝時代
   大きさ  直径約十七センチメートル
     本文略

ちょっと読めませんね。現物でも読むには苦労します




『二の鳥居』
撮ってきた写真を整理していたら、これまで何回か撮った境内の写真となんか違う
「なんだろ~」と思ったら境内に何本も立っている「木曽義仲公」と染め抜かれた幟がない
雨天続きであったから取り外したのかもしれないと・・・
皆さんの写真にも必ず写っている「木曽義仲公」の幟が立っていない鎌形八幡神社は鎌形八幡神社
ではないということで、過去の写真の中から使えそうな幟を見つけて切り取って貼り合わせてみま
した




二の鳥居の次は『石灯籠』




門と言えば門のようですが、何のための何という建物か調べてみましたが正直分りませんでした
『割拝殿』?




『扁額』 【八幡宮】と判読しましたが間違っているでしょうか?




遊び心で額縁風にしてみました




書面に『社殿』  石段の下右手に『手水舎』




『狛犬』  平成五年四月吉日 建立




『手水舎』  これが『伝木曽義仲産湯の清水』と称されるものである
鎌形には七カ所の湧水があって、古来より「鎌形の七清水」と呼ばれ、その一つがこの鎌形八幡神
社の清水であると言います。
そして、この七清水或いは一つの清水が木曽義仲(駒王丸)の産湯に使われたという伝えがあり、
ここ以外の六つの清水は枯れてしまっていると言います。実際にこの鎌形八幡神社の湧水が産湯に
使われたかを知る術はありませんが、使われてはいないと否定することもできません。
この「産湯の清水」と称するものは大正15年(1926)2月19日に、埼玉県指定の史跡になったとい
うことです(指定名称については不明ですが)。しかし戦後指定を解除されました。
村では村民の民情と要望に応え、村指定史跡にすることとしましたが、信憑性に欠け、伝説的なも
のであることから「伝」を付け『伝木曽義仲産湯の清水』としたというような話があります。なお、
この時はまだ「菅谷村」で町制施行で「嵐山町」になったのは昭和42年4月1日です。




清水を水盤に流し込む竹の筧を横から




清水が筧に落ち込む状況




『水盤』には 【享保十五年正月】(1730年)と刻まれています




『木曽義仲産湯の清水』碑
この石碑には由緒はおろか建立日、建立者名は刻まれていません。ただ、【木曽義仲産湯の清水】
と刻まれているだけです。
建立日や建立者名を入れなかった意図について深くは詮索しませんが、こうして石碑を建てたこと
により既製事実化させ、「伝」とは言え、「木曽義仲産湯の清水」として認知され、人々の知ると
ころとなった一因であることは確かでしょう。歴史とはロマンですから・・・




『社殿』を正面から
社殿の正面前は狭くて正面全体の写真は無理ですので石段の途中から




『社殿』全体  台地の隅ギリギリから撮ってやっとこの程度




『扁額』 【八幡神社】と揮毫




『向拝』の彫刻




嵐山町指定 建造物 鎌形八幡神社本殿
   指定  昭和三十六十年十二月一日
   所在  嵐山町大字鎌形八幡神社
   時代  江戸時代
〔本文概略〕
正面の建物は拝殿を兼ねた覆屋であり、本殿はその中に納められている。中の本殿が町指定文化
財で、簡素な一間社流し造り。本殿の建立は棟札から寛延2年(1749)である。 




社殿前から境内を見下ろしてみました




     『瀬戸神社』                『八坂神社』
社殿に向って左側に鎮座




    『山の神』          『天神宮』          「白和瀬神社』
社殿背後の右側に鎮座




『護国神社』 社殿に向って石段下左側に鎮座




『金比羅神社』  伝木曽義仲産湯の清水はこの神社の周りの池にも注がれています




都幾川に架かる『八幡橋』と鎌形八幡神社の杜

散策・参詣日:令和2年(2020)9月15日(火)

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (jikan314)
2020-10-20 19:08:23
いつも拝見しております。
義仲ゆかりの嵐山に、行こう行こうとしつつ、感染拡大と熱波に二の足を踏んでいたところですが、そろそろGoTo近所と言う事で、考えていた所です。
貴blogが取り上げて頂いたので、がぜん行く気に成りました。感謝。
そろそろいつもの風邪も注意しなければならなくなりました。十分ご注意下さい。
拙句
気分だけ旅路をおもふ初しぐれ
返信する
Unknown (とりち)
2020-10-20 21:32:24
jikan314さん拙いブログにいつもお付き合い有難うございます。
鎌形八幡神社でも昔は流鏑馬(競馬)を執り行っていたようです。行っていたのは、木曽義仲(義賢)の遺臣の子孫の方々でした。
ときがわの萩日吉神社へ流鏑馬を奉納している方々同じです。
現在は、倭式騎馬会が復活という形で都幾川の堤を使って行っているようです。今年はコロナの件で行われなかったようですが。
嵐山町は、畠山と源義賢と言ったある意味では敵同士であったものが居していたことになります。
是非訪ねてみてください。
返信する
Unknown (jikan314)
2020-10-21 17:49:12
有難うございます。
思い立ったが吉日と、今嵐山駅で帰りの電車を待っています。
義仲の旗は建っていました。
歴史館と言うものがありましたが、閉館時間を過ぎておりましたので、又の機会にとなりました。
畠山重忠像も見て来たので、大満足です。
又拝見いたします。
返信する
Unknown (とりち)
2020-10-21 20:29:47
jikan314さん早速嵐山町行かれたとのこと。
歴史の町如何でしたでしょうか。
義仲の幟は立っていたようで、何度も行っていますと無いと違和感がありました。
嵐山史跡の博物館でしょうか?中世に特化した博物館ですので機会があったら訪館してみて下さい。
大きくはありませんが(失礼)入館料はお安いですから・・・
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。