社 号:八幡神社(はちまん じんじゃ)
別 称:大塚八幡神社
御祭神:・誉田別命(ほむだわけのみこと)
・保食命(うけもちのみこと)
・大山咋命(おおやまくいのみこと)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・豊受大神(とようけおおみかみ)
創 建:元弘3年(1333年)
社 格:旧郷社
例 祭:10月19日 例大祭
指 定:ー
鎮座地:埼玉県比企郡小川町大塚428
小川町大塚の八幡神社の境内には古くから神明社が祀られていたと言います、元弘の乱によって、
元弘3年(1333)5月22日に鎌倉幕府が滅ぶと第九代将軍であった守邦親王は将軍職を退任して出家
し、同年8月16日に33歳の若さで鎌倉で薨じている
そんな鎌倉で薨じたはずの守邦親王は、鎌倉幕府滅亡の際、この地に逃れて仮寓し、鎌倉の鶴岡
八幡宮を当地に勧請したのがこの大塚の八幡神社であるとの言い伝えがあります。
これはあくまで伝承であって信憑性はほとんどないものでしょうが、こうした伝承を生むにそれ
なりの背景があったのではないでしょうか。それと共になぜか鎌倉とは縁があるこの地方です。
そんな八幡神社は何度も訪れていますので、ここでこれまで撮って来た写真の中から、枚数の許
す範囲で紹介したいと思います。
八幡神社創建については別の説もあるようですが、そこにまで触れるとややこしくなってしまい
ますのであくまで守邦親王という伝承のもとに・・・
『八幡神社の例大祭』⇐ブログ記事リンク
『一の鳥居』(紀元二千六百年記念 昭和拾五年四月建 氏子中)と刻まれています
社号標『八幡神社参道』(紀元二千六百年四月 氏子中 昭和四十九年三月再建)と刻まれています
この『一の鳥居』は八幡神社の東方約350mに位置しています
一の鳥居から神社までの間に現在灯籠等はありませんが、かつては石灯籠が建っていたようでその
痕跡があります
参道を直進すると八幡神社の東側に突き当たります
二の鳥居、境内正面の参道は南側にあります
神社左側には当社別当の「梅皇山梅岑寺」(修験寺)がありましたが神仏分離・廃仏毀釈により廃
寺となっています
境内東側の玉垣の内側に設置されている「八幡神社」説明板
八 幡 神 社 所在地 比企郡小川町大字大塚 八幡神社は、元弘三年(1333)に、創建されたと伝えられている。 鎌倉幕府の滅亡に際し、将軍であった守邦親王は、慈光寺山麓の古寺の里に亡命し土豪猿尾氏に 迎えられ、この梅香岡に仮寓したという言伝えがある。 守邦親王が鎮守神明社の境内に勧請したのが、八幡神社のはじまりであるといわれている。 慶安二年(1649)、三代将軍家光より社領十石二十斗を賜って以来歴代将軍から、御朱印を受けて いたと伝えられている。 守邦親王が生前、小字的場で馬術を練習した故事にならって境内でかつて流鏑馬や馬くらべが行 われていた。 八幡神社の大けやきは、町の天然記念物に指定されている名木で、この木が下から水を吸い上げ るため、この地の井戸はどんな日照りでも水が枯れることがないと言われている。 昭和五十九年三月 埼玉県・小川町 |
二の鳥居前を東西に走る道路
かつて「流鏑馬神事」が行われていたころ、ここを神馬が疾走しました
見物は両側の土塁に上がって・・・流鏑馬が行われていたころはアスファルト舗装はされていませ
んでしたし道幅はもっと狭かった また 玉垣もありませんでした
境内正面参道入り口
社号標『郷社 八幡神社』 (昭和九年九月)と刻まれています
旧社格の【郷社】の文字はコンクリートを埋めて一応消した形になっています
『二の鳥居』 (明治四十四年十二月建之)と刻まれています
扁額『八幡神社』と揮毫
参道沿いには四対の『石灯籠』が奉納されています
二の鳥居手前に一対 鳥居のすぐ後ろに一対 と この写真に写っている二対の計四対です
『手水舎』
水盤には 【天文四己未九月吉日己未(1739年) 八幡宮御中 梅岑寺勝房・信州高遠住福】
と刻まれている
左:『向拝・境内社・社務所新築記念碑』(昭和六十二年(1987)四月建立)
右:『社務所・競馬場建設碑』(昭和二年(1927)十月建立)
『神楽殿』
手前にある『石灯籠』の側面には
【左の石灯籠】 安永六年 丁酉之春三月吉日(1777年) 【右の石灯籠】 梅岑寺勝清
と刻まれています
石灯籠の先には 『狛犬』 『狛鳩』 『狛犬(小型)』の三対が並んでいます
『狛犬』
大正四年三月吉日建(1942年) 東京都日本橋室町壹丁目 納主 山本徳次郎
と左右の狛犬の台座裏面に刻まれています
山本徳次郎さんは「株式会社山本海苔店」の社長さん 山本海苔店の当主は代々徳次郎の名を受け
継いでいますがこの納主の徳次郎さんは二代目あたりでしょうか
『拝殿』
『狛鳩』
鳩は八幡神の使いですから でも珍しい
『狛犬』 明治廿二年一月(1889年)建立
右側の狛犬の顔は別のものを付けて繋げています
拝殿正面 これと言った彫刻は施されていません
拝殿扁額『八幡宮』と揮毫
横書きに扁額は珍しい 現在の社名「八幡神社」ではなく旧社名「八幡宮」を使っています
八幡神社の 御祭神 境内社 御祭事 が列記された額
『拝殿内』
拝殿は普段は戸締りされていて、のぞき窓もありませんから中を覗くことはほぼ困難です
中央にある扁額は縦書きで『八幡神社』 右にある縦書きの『八幡宮』の扁額の【八】の文字は鳩
が向き合った形です
この写真は令和27年(2015)の例大祭の時に撮ったものです
『社殿』を左斜めから
『本殿』
社殿と『社務所』
社務所玄関(左)と社殿裏にある『町営八幡台グラウンド』(右)
かつてこのグラウンドは『馬場』でした
半世紀以上も前のことです、既に競馬を行われていませんでしたがトラックが残っていて、トラッ
クの内側は畑として使われていました
整然と並んだ境内社群
個々の社はこの覆屋の中に鎮座します
以下に覆屋を左から載せますが、中の社までは載せきれませんので省略します(それでは意味がな
いと言われそうです)
また、社名については社名札がなかったり不鮮明だったりしますので、必ずしも列記した通りでは
ないかもしれませんことを先に断っておきます
『疱瘡神社』 ・ 『寅稲荷神社』
『天満宮』
『秋葉神社』・『天手長男神社』・『琴平神社』 『産泰神社』
『高良神社』・『高龗神社』・『新羅神社』・『稲荷神社』 『石祠』
『納札所』
『庚申塔』 文化14年(1817)5月
境内南東隅に建立されています
『八幡神社の大ケヤキ』
小川町指定天然記念物 昭和53年(1978)3月17日指定
『芭蕉句碑』
【者流もやゝ氣色とゝ乃ふ月登梅】(春もやや気色ととのふ月と梅)
天保2年(1831) 梅皇山梅岑寺の修験者・勝道 建立
八幡神社南側 広い境内ですので全部は納まりきれません
参詣・散策日:数え切れません