四季・めぐりめぐりて

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鎌倉街道上道に面して鎮座する『武蔵野八幡神社』(埼玉県深谷市)

2020年10月21日 | 神社仏閣


社 号:八幡神社(はちまんじんじゃ)
通 称:武蔵野八幡神社
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
創 建:不詳
社 格:旧村社
例 祭:不明
指 定:ー
鎮座地:埼玉県深谷市武蔵野3283(旧・大里郡花園町)

武蔵野の範囲について明確な定義はないそうですが、「埼玉県川越以南、東京都府中までの間に
拡がる地域」であり、また広義には「武蔵国全部」を指すこともあるとされるようです。
イメージ的には府中市近辺を想像し、大里郡市を武蔵野と呼ぶには違和感があります(私的には)
しかし、旧花園町には武蔵野という地名(武蔵野村)が昔からあり、そこに鎮座する八幡神社で
あることから武蔵野八幡神社と呼ばれるようです。
境内には、当神社の由緒等を示す説明板の類いはなく、神社の詳細は分りません。

武蔵野八幡神社 御由緒 
 当社の西側を通る県道小前田・児玉線は、建久三年(1192)源頼朝が鎌倉幕府を開いてから整備した
鎌倉街道であると伝えている。頼朝やそれに従った者たちの八幡信仰はよく知られている。
 当社も、この街道を通って、鎌倉に向かった当地の武将が信仰したものなのであろう。江戸期は、当
社の北東に位置する浄土宗常光寺が別当で、祭祀を司っていた。その後、明治に入り、政府から神仏分
離令、次いで神社合祀政策が打ち出された。当社も、明治四十一年には、字東宿地の無格社大荒神社、
字正法寺の無格社諏訪大神社を合祀し、社名を八幡大神社と改めた。更に、翌四十二年には、字宮地の
村社十二社大神社及びその境内社八幡大神社を合祀した。この折、字風原の村社足高大神社も合祀する
予定であったが、賛同が得られず中止となった。
 このため足高大神社は、合祀された十二社大神社の氏子への配慮から、社名を大正四年に武蔵野神社
に改めた。また、一旦合祀された十二社大神社は、昭和二十八年に地元の氏子の強い要望により、十二
社神社の社名で字濡僧の地に分祀され、当社も八幡神社の旧称に復した。
                             埼玉の神社、埼玉県神社庁より引用

                                       


旧鎌倉街道上道(埼玉県道175号・小前田児玉線)に面して鎮座する八幡神社
左側にあるのは『鎌倉街道(上道)のみちすじ』案内板




『社号標』【八幡神社】




鳥居の扁額【八幡神社】




参道  左側の建物が『社務所』




『八幡神社社殿』




『狛犬』




『扁額』(社号額)【八幡大神】と揮毫(明治の元勲正三位犬養毅の書)




社殿を斜めから




拝殿側面に掲げられている『日露戦役記念額』(陸軍元帥野津道貫の書)




『本殿』




本殿上部




本殿主棟の鬼飾りには「右三つ巴」紋が施されている




本殿正面を透塀の隙間から




本殿側面の彫刻




本殿背後の「末社殿」  【末社】と揮毫された額が付いた鳥居まで建っています
左から  秋葉神社・蚕影神社・琴平神社・稲荷神社・山神社・八坂神社・天手長男神社・伊奈利
神社・浅間神社・道祖神社・諏訪神社・古峰神社・大荒神社  のようです


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『天神宮』(左側の石祠)と『辨財天』
 



『仙元大日神』




本殿裏側から拝殿方向

参拝日:令和2年(2020)9月27日(日)

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