社 号:八幡神社(はちまんじんじゃ)
通 称:武蔵野八幡神社
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
創 建:不詳
社 格:旧村社
例 祭:不明
指 定:ー
鎮座地:埼玉県深谷市武蔵野3283(旧・大里郡花園町)
武蔵野の範囲について明確な定義はないそうですが、「埼玉県川越以南、東京都府中までの間に
拡がる地域」であり、また広義には「武蔵国全部」を指すこともあるとされるようです。
イメージ的には府中市近辺を想像し、大里郡市を武蔵野と呼ぶには違和感があります(私的には)
しかし、旧花園町には武蔵野という地名(武蔵野村)が昔からあり、そこに鎮座する八幡神社で
あることから武蔵野八幡神社と呼ばれるようです。
境内には、当神社の由緒等を示す説明板の類いはなく、神社の詳細は分りません。
武蔵野八幡神社 御由緒 当社の西側を通る県道小前田・児玉線は、建久三年(1192)源頼朝が鎌倉幕府を開いてから整備した 鎌倉街道であると伝えている。頼朝やそれに従った者たちの八幡信仰はよく知られている。 当社も、この街道を通って、鎌倉に向かった当地の武将が信仰したものなのであろう。江戸期は、当 社の北東に位置する浄土宗常光寺が別当で、祭祀を司っていた。その後、明治に入り、政府から神仏分 離令、次いで神社合祀政策が打ち出された。当社も、明治四十一年には、字東宿地の無格社大荒神社、 字正法寺の無格社諏訪大神社を合祀し、社名を八幡大神社と改めた。更に、翌四十二年には、字宮地の 村社十二社大神社及びその境内社八幡大神社を合祀した。この折、字風原の村社足高大神社も合祀する 予定であったが、賛同が得られず中止となった。 このため足高大神社は、合祀された十二社大神社の氏子への配慮から、社名を大正四年に武蔵野神社 に改めた。また、一旦合祀された十二社大神社は、昭和二十八年に地元の氏子の強い要望により、十二 社神社の社名で字濡僧の地に分祀され、当社も八幡神社の旧称に復した。 埼玉の神社、埼玉県神社庁より引用 |
旧鎌倉街道上道(埼玉県道175号・小前田児玉線)に面して鎮座する八幡神社
左側にあるのは『鎌倉街道(上道)のみちすじ』案内板
『社号標』【八幡神社】
鳥居の扁額【八幡神社】
参道 左側の建物が『社務所』
『八幡神社社殿』
『狛犬』
『扁額』(社号額)【八幡大神】と揮毫(明治の元勲正三位犬養毅の書)
社殿を斜めから
拝殿側面に掲げられている『日露戦役記念額』(陸軍元帥野津道貫の書)
『本殿』
本殿上部
本殿主棟の鬼飾りには「右三つ巴」紋が施されている
本殿正面を透塀の隙間から
本殿側面の彫刻
本殿背後の「末社殿」 【末社】と揮毫された額が付いた鳥居まで建っています
左から 秋葉神社・蚕影神社・琴平神社・稲荷神社・山神社・八坂神社・天手長男神社・伊奈利
神社・浅間神社・道祖神社・諏訪神社・古峰神社・大荒神社 のようです
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『天神宮』(左側の石祠)と『辨財天』
『仙元大日神』
本殿裏側から拝殿方向
参拝日:令和2年(2020)9月27日(日)