
広徳寺の大御堂は13世紀の初め、尼将軍北条政子が美尾屋十郎広徳の菩提を弔うため、美尾屋氏の館跡に建立したものと伝えられています。
「大御堂」とは、浄土信仰の盛んな平安末期から鎌倉期にかけて建立された阿弥陀堂をさしています。現在の大御堂は室町末期に再建されたものですが、
方三間の建て方や簡素な組物などに建築当初の様式をみることができます。美尾屋十郎広徳については、水尾谷郷(川島町表)にいた御家人で、
屋島の戦いや源義経邸襲撃事件、奥州合戦等にその名が登場しています。
(埼玉県立嵐山史跡の博物館発行 「比企の中世・再発見」から ■広徳寺大御堂(重文) の項を引用転載)
廣徳寺(広徳寺)は、大御山西福院と号し真言宗豊山派に属する寺院。古くは三河国誕生院の末寺であったが、元禄時代に江戸大塚の護持院の末寺となり、
更に護国寺の末寺となった。寺伝をよると、正保・享保両度の火災で大御堂、仁王門を除き、本堂や坊舎は焼失しました。
そんな北条政子ゆかりの廣徳寺を天候に恵まれた11月16日(水)に初めて訪ねてみました。主たる目的は、国指定重要文化財である「大御堂」を見ること。

廣徳寺入口 立派な山門(仁王門)がいきなり目に入ります

入ってすぐ右手にある廣徳寺古図・美尾屋十郎廣徳館跡の看板

山門(仁王門)

仁王像 ①

仁王像 ②

山門(仁王門)を裏側から 右の白い建物は「農民具憩処」

参 道

参道沿いにある廣徳寺・大御堂等の説明や由来が書かれた案内板

「廣徳寺 並 大御堂」の部分を拡大で

表 門 閉門されていましたので更にに進むと

通用門でしょうか? 開門されていましたのでここから境内に

立派な本堂があります 最近の建築でしょう

本堂を正面から

「金堂」の扁額(寺額)

御影堂 ①

御影堂 ②

燃えるような紅葉を・・・

主たる目的の「大御堂」

六地蔵

国指定重要文化財 廣徳寺大御堂 の説明石碑

美尾屋十郎廣徳乃碑

大御堂を正面から

ぐるっとまわり ①

ぐるっとまわり ②

ぐるっとまわり ③

ぐるっとまわり ④

大御堂と本堂境内の間に空堀跡を見つけました

ちょっとだけ遠景で

仁王門と大御堂
大御堂裏にある墓所に古墳があることを帰宅後知りました いつもこんな調子で失敗しています。
散策日:2016年(平成28年)11月16日(金)