埼玉県児玉郡神川町二ノ宮に所在し、御嶽山の麓に鎮座する武蔵二宮と称される金鑚神社(かなさなじんじゃ)へ行ってきました。
県北にあるK市の某役所にちょっとした用事があり、用事を済ませたその足で神川町の金鑚神社に向かい、さらに時間に余裕があれば
他2ヶ所も巡ってこようと予定を立てたものの、K市で予定外の時間を費やしてしまいました。そして、神川町に至っても勘違いから
再び時間の無駄遣いをしてしまい、金鑚神社に着いたときは予定よりも大分遅い時間帯でした。取りあえず予定の金鑚神社多宝塔と
御嶽の鏡岩だけは見て、あとの予定は諦めるしかないだろうと・・・
「武蔵二之宮 金鑚神社」と刻まれた社号標
大鳥居(一の鳥居) だいぶ陽が落ちているのがお分りかと
二の鳥居 ※ 着いたときに撮ろう撮ろうと思いながら撮り損ねましたので帰り間際に撮ったものです
参道
参道沿いに流れる御嶽川 金鑚清流公園として綺麗に整備されています
国指定重要文化財の金鑚神社多宝塔
ここに至る前に私にとってはどうでもよい場所を歩き回ってしまい、ここに至っても時間の無駄遣い
金鑚神社多宝塔についての説明はこの案内(説明)板で (いつもの手抜きの手口です)
金鑚神社多宝塔 所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。
天文3年(1534)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。
この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。
塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。
昭和五十九年三月 神川町
実は、ン十年前にもこの多宝塔を見に来ているのですが、記憶にあるのは来たという事実だけで姿はおぼろげに
近付いて横から
本来はもっと朱の色が濃かったのでしょうが雨風や陽に晒されて薄くなったのでしょう
ここから先が境内 多宝塔はこの写真の右側にあります
写真にたまたま二人連れが写り込んでしまいましたが、このほかにも数組の方が参拝に来ていました
三の門 この広場の手前部分に社務所があります (それが分るような写真を撮って来いと言われそうですね)
朱色の欄干の義家橋 義家・・・八幡太郎源義家
朱色の鮮やかさに惹かれ 近づいて撮ってみました
金鑚神社についての由緒はこの案内(説明)板で
金鑚神社(かなさなじんじゃ) 所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と
素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、
別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石”
”旗掛杉””義家橋”などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)
と諏訪神社(長野県)だけである。
昭和五十九年三月 神川町
三の鳥居 この鳥居手前の右側に御神木があるがまたしても写真を撮ってこなかった
手水舎
手水舎の脇に建てられたいる境内図 汚れが酷いですがなんとか見られます
神楽殿
御嶽鏡岩 天然記念物 と刻まれた石標
振り向けば三の門の向こうに社務所が見えます
神楽殿に向かって右側に拝殿があります
拝殿 ①
拝殿 ②
拝殿 ③
中門
この神社には先程の案内板の通り本殿はありません 中門背後の山御嶽山(御室嶽)をご神体として祀っています
神饌(しんせん)所 と 神庫
中門を左側から
拝殿と中門
この後、拝殿の左側にある御嶽山登山口から御嶽の鏡岩を目指しました。鏡岩の更に先(上)には展望台や御嶽城( 金鑚御嶽城)跡がありますが、
これらは時間的にも体力的にも無理でしたので初めから予定には入れてありませんでした。御嶽の鏡岩への散策記は次回の投稿とします。
散策日:2016(平成28)年12月12日(月)