2022年NHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」には、埼玉県比企地域にゆかりのある武将・人物なども描かれ
るようです。
比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父
村)では、この放映を契機として地域の活性化につなげようと、令和2年(2020年)12月に『大河ドラマ
「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』を立ち上げ、さまざまな取り組みをしています。
12月に入ってから、【比企一族と武蔵武士 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟旗やポスター
が立ったり、貼られたりするよになり、また、リーフレット「鎌倉殿を支えた 武士の故郷 比企の史跡
マップ」も配布されています。
リーフレットにはアクセスマップ、比企地域の源氏・比企一族関連史跡の写真と説明文が掲載されていま
す(各町村一つの史跡、東松山市のみ二つの史跡)
① 小川町 仙覚律師遺跡(県指定・旧跡) ② 嵐山町 菅谷館跡
③ 吉見町 岩殿山安楽寺(吉見観音) ④ ときがわ町 慈光寺
⑤ 鳩山町 笛吹峠(鎌倉街道上道) ⑥ 川島町 金剛寺
⑦ 東秩父村 浄蓮寺 ⑧ 滑川町 三門館跡
⑨ 東松山市 扇谷山宗悟寺 巖殿山正法寺
今回は、このうちの 《⑥川島町 金剛寺》を訪ねてみました。
リーフレットにある説明は次の通りです。
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金剛寺は真言宗智山派の寺院で、大僧都満恵和尚によって開山され、天正年間には比企能員の末裔である
比企左馬助則員が中興したと伝えられています。妙本寺(鎌倉)同様、比企一族の菩提寺です。この金剛
寺には「比企系図」及び比企家15代則員、16代久義、17代重久、18代久員を含む歴代の墓があります。
豆知識:境内の東に位置する大日堂の天井には「龍」が描かれています。この龍は、田んぼで稲を食い荒らし、被害はあ
ちこちに広がったそうです。やむを得ず龍を鎮める方法として、喉元に杭を打ち込み、その杭を隠すために天井を設置し
たと伝えられています。 (※17代重久は重員の間違いではないでしょうか?)
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比企氏一族は、建仁2年(1203)の『比企氏の乱 』で北条方に敗れ一族がことごとく滅ぼされたとされて
いました。しかし 能員の子 円顕 (当時2歳・俗名 能本 ) と、能員の孫 員茂 は母のお腹の中にいたこと
から生き長らえていたのです。
『本堂』
『鐘楼』
『大日堂』
この大日堂は、2021年2月26日付で国登録有形文化財に登録されています。
山門にもこれに関する記事(文化審議会へ答申段階)を貼った立て札が置いてあります。
「比企氏と歴代墓地」説明板
この奥に比企氏の墓地があります
「比企氏と歴代墓地」
宝篋印塔などが並んでいます
左の方には現在の比企氏の墓や墓誌がありますが、敢えて写していません。
① 比企久員の墓 延宝8年(1680)3月5日没 比企家18代
② 久員の妻の墓 延宝8年(1680)7月14日没
③ 比企重員の墓 寛文11年(1671)10月6日没 比企氏17代
④ 比企義久の墓 寛永19年(1642)8月8日没 比企家16代
⑤ 比企則員の墓 元和2年(1616)3月19日没 比企家15代
⑥ 比企稚久の墓 元禄14年(1701)10月15日没
建仁2年(1203)の『比企氏の乱 』から400年余以上を過ぎた時代の末裔ですね
『金剛寺ー比企氏墓所―』 ← 過去記事
参詣日:令和3年(2021)12月9日(木)