四季・めぐりめぐりて

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高見城跡(埼玉県小川町)

2015年03月06日 | 100名城以外の城館跡


高見城 (別名: 四津山城・四ツ山城) 県指定史跡     所在地:埼玉県小川町高見

標高197m 比高100mの山に築かれた山城 で、山頂部が4つに括れていることから四津山と呼ばれる独立丘陵上の山頂に築かれています。

築城年代は定かではないようですが、青山城主青木氏久の家臣であったという石井九郎右衛門政綱によって治承4年(1180))築かれたと云われています。
文明年間(1469~1487年)頃には増田四郎重富の居城となり、長享2年(1488)と延徳3年(1491)には城の眼下の高見ヶ原で扇谷上杉氏と山内上杉氏による合戦が繰り広げられました。

扇谷・山内両上杉家の抗争後も。後北条氏の支配を受け天正18年(1590)の鉢形城と松山城落城まで、眼下を通過する鎌倉街道と宿を抑える役割を担っていたと思われます。






「つなぎの平場」を「二の郭」とし、「二の郭」を「三の郭」、「三の郭」を「四の郭」としている方もおりますが、この攻城記ではこの縄張図の標記に従います。




県道184号線沿いに「四ツ山(高見)城跡」の標識が立っているので矢印方向に道なりに進行します。




「四津山神社」(高見城跡)参道前に着きましたが、駐車場はありませんので空地に。




参道を入ってすぐ「史蹟 高見城跡」の石碑を目にしますが、黒くなっているので見落とす可能性もあります。

石碑裏面には「高見城は鎌倉時代治承4年石井九郎左衛門政綱により四ツ山に築城されたという 
その後文明**年増田四郎重富が再築城したものだと傳えられる 昭和37年10月17日」と刻まれています。




更に進むと右手に「四津山神社再建記念碑」がありますが、その中にも城に関する記述があります。
裏面には奉納者名が列記されていますが「増田」姓の方が多数。増田四朗一族の末裔でしょうか。




長い参道ですから緩いように見えますが実際にはかなりきつい坂道です。トイレあたりまで到達したときは既に「ぜーぜー」状態。
杖が用意してありましたのでお借りして先を進むことに。




石段の手前まで来ました。まずは「犬走り跡」を・・・




この辺りはまだよいのですが・・・




犬走りの途中の「腰郭」です。しかし、この先の犬走り跡は藪でしたので、この後の攻城のことも考え無理をせず引き返すことに。




石段を上がりますが、写真で見るよりは急です。




石段を登り切って右に行くと「腰郭」です。左の石段(男坂)を上がれば直接四津山神社(本郭跡)に。祠の後ろに「女坂」があります。




急な石段です。男坂




「女坂」から攻城しました


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「本郭」方向と「二の郭・三の郭」方向への分岐点  まずは「二の郭」方向から攻めてみることに




「二の郭跡」 ①




「二の郭跡」 ②




二の郭北端にある「桝形小口」




二の郭と三の郭を遮断する「堀切跡」




「三の郭跡」 ①




「三の郭跡」 ②




三の郭北端下の堀切の土橋から三の郭を  急な斜面ですので杖を突き木の枝を掴みながら降りました




「堀切跡」




三の郭北西にある尾根  先の方まで歩いてみましたが、やはり郭跡ではないようです。




分岐点まで戻ってきました。ここからいよいよ本郭跡を攻めます。




「つなぎの平場」  つなぎの平場 ? 何のことでしょうか




つなぎの平場と本郭の間にある「堀切」




「本郭小口跡」




「本郭跡」 ①   四津山神社と土塁




「本郭跡」 ②




「県指定史跡 四ツ山城跡」の説明(案内)板

え!ちょっと ちょっと待ってくださいよ。




これは2009年5月に攻城したときに撮った案内板です。内容は今のものとそれほど変わりないですが「高見城跡」となっています。

ところが今のものは上記のように「四ツ山城跡」に変わっていました。

「四ツ山城」が「高見城」の別称であることは承知していたことですが、新しい説明板を見る限りでは「四ツ山城」が

主たる(正式)城名ということになったのでしょうか? 道路沿いの標識も「四ツ山(高見)城跡」となっていましたし。

どうも気になってしまい調べてみました。平成15年3月18日 埼玉県教育委員会告示第8号で「種類:史跡 名称および員数:四ツ山城跡」
として史跡指定されていました。これで説明板の城跡名が変わった理由がわかりましたが、高見城の方が名が知れているような気がしますが。

まあ、簡単に言うと、町指定史跡の時は「高見城跡」の名称で指定 県指定に変わってからは「四ツ山城跡」の名称で指定と言うことですね。




本郭跡からの展望 ①  これだけ見晴らしが良ければ・・・




本郭跡からの展望 ②




本郭跡からの展望 ③




急な石段(男坂)を下りて帰陣としますか




石段の途中にある「腰郭」




腰郭はこんな場所に   枯れ枝の後ろの方まで広がっています。


 「高見城跡」も2009年5月以来の再攻城でした。よく整備されていて表示板も設置されていますから歩きやすい城跡です。
 2009年に攻城したときは、ただ城跡に行ってみたいというだけで何の知識もありませんでした。ほんの僅かではありますが
歴史の知識をもって訪れた城跡は、以前と変わらないものであっても、新たな興味と気持ちで攻城が出来ました。

攻城日:2015年(平成27年)3月4日(水)(3月6日一部追記しました)          

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