四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

須賀広陣屋(埼玉県熊谷市)

2017年12月14日 | 100名城以外の城館跡


城 名:須賀広陣屋(すがひろじんや)
別 名:田村陣屋
形 態:陣屋
城 主:田村茂兵衛重次
時 期:江戸時代初期
遺 構:水堀・空堀
指 定:-
所在地:埼玉県熊谷市須賀広108(旧大里郡江南町)

須賀広陣屋は、江戸時代初期、男衾郡須賀廣村を治めた旗本・稲垣若狭守重太が、家臣の田村茂兵衛重次を代官として
派遣して構えさせた陣屋とのこと。元禄11年(1698)稲垣氏の近江山上への転封により陣屋も廃された。
付近には、陣屋前・沼田の小字があり、陣屋敷地内の屋敷部分は字重殿、東には通称オクラシがある。
「重殿」とは、若狭守の通称重太、代官田村茂兵衛重次の何れかに起因するものかとも思われます。

ということで今回は須賀広陣屋跡を訪ねてみました。




須賀広陣屋があったとされる場所(林付近)を北側道路から。この畑も陣屋敷地であったようです。




陣屋屋敷があったと思われるところの東側にある「重殿稲荷神社」の北側は、現在「重殿ふれあい広場」という小公園
になっており、東屋も設けられています。




重殿ふれあい広場前から北側を見ています(2枚目の写真と逆方向になります)




重殿ふれあい広場前から東側を見ています。右側に家が映っていますが、そのあたりが「通称オクラシ」のようです。




重殿ふれあい広場前から西側を見ています。中央の白い建物が江南南小学校です。




重殿ふれあい広場の西側です。平地と繁みの境を水堀が東西に走っていますが、だいぶ浅くなっています。水路か?




上の写真の逆方向です。




ふれあい広場東側の道路沿いにある重殿稲荷神社の鳥居




鳥居右側(北側)にある土塁ようのもの




重殿稲荷神社社殿




社殿東側にある池(堀)  石垣は後世のもの




池(堀)を別角度から




社殿北側の堀




重殿稲荷の敷地西側のフェンスの向こうに社殿北側の堀とつながる堀があります




社殿北側の堀とつながる堀
堀は下りきったところで西側に延びて民家の裏の方に  更に一方は南側の池に流れ込んでいます




民家裏手の方に延びている堀




重殿稲荷の南側にある池




重殿稲荷の南側にある池を南側から  池というよりも農業の灌漑用沼ですが。
この池の西側に民家がありますが(あえて写真の中に入れませんでした)その民家のあたりに陣屋屋敷があったようです。
陣屋敷地はこれよりももっと広範囲に及ぶようですが、散策範囲はこの程度で満足としておきましょう

今回も何を書いているのかぐちゃぐちゃになってしまいましたが・・・(いつものこと)

散策日:平成29年(2017)11月19日(日)

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