四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

深谷城(埼玉県深谷市)

2017年12月27日 | 100名城以外の城館跡
深谷上杉氏 ③
時系列通りには行かないと思いますが、深谷上杉氏に関連する史跡等をを数回にかけて紹介中!
第3弾は深谷上杉氏の本拠深谷城です。



埼玉県深谷市本住町にある深谷城跡を訪ねてきました。

室町時代、山内上杉憲顕が新田氏に備えて六男の上杉憲英に、現在の深谷市国済寺に庁鼻和城を築かせ深谷上杉氏(庁鼻和上杉氏)
の居城とし、憲英、憲光、憲信の3代が居住しました。室町時代中期、房憲のときの康正2年(1456)古河公方の侵攻に備えて唐沢
川や福川に囲まれた低湿地に築いた平城が深谷城です。
深谷城には、この房憲と憲清、憲賢、憲盛、氏憲の5代が居住したことから、庁鼻和深谷上杉氏と併せて「深谷上杉氏」と総称され
ています。

深谷上杉氏は小田原北条氏と敵対していましたが、天正元年(1573)上杉憲盛のときに北条氏に従属しました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐 の折、このときの城主氏憲は小田原城に詰めていました。深谷城は重臣の秋元長朝、杉
田因幡が守備していましたが、深谷城や城下を戦禍から守るため開城して降伏、所領没収となりました。小田原北条氏は滅び、上杉
氏憲は小久保と姓を改め、信濃国にて隠居しました。
徳川家康の関東入府後は、徳川一族や譜代家臣の居城となりましたが寛永11年(1634)に廃城なりました。

現在、城跡の一部は深谷城址公園として生まれ変わり、市民文化会館等の施設を有する憩いの公園となっています。
公園周囲には、近世城郭の塀や櫓を模した建造物が築かれ城の雰囲気を出しています(深谷城の復元建物ではありませんが)

なお、深谷城跡は埼玉県指定旧跡となっています。




実際の深谷城がどんなものであったかは分りませんが、中世の城ですので、こうした塀はなかったと思います。まあ、公園ですから。




模擬であっても城の雰囲気が出ていますので、これはこれでよいでしょう。




深谷ライオンズクラブが建立した「深谷上杉氏家紋碑」 俗にいう「竹に雀」紋です。深谷上杉氏について書かれています。




深谷城跡についての説明板




深谷城址公園についての説明板




城址公園内の一部




右の建物が市民文化会館




深谷城の唯一の遺構とも言える深谷城外濠跡(深谷市指定史跡・昭和33年(1958)11月3日指定)




深谷上杉顕彰会による「富士浅間神社」についての説明板 




富士浅間神社




社殿




外濠跡①




外濠跡②

この深谷城跡には、某会合参加のためコミュニティセンターに来たのも含めて数回訪ねています。
また、このブログで平成22年(2010)に1度投稿しています。その時と同様な内容ですが7年ぶりにあらためての投稿です。

散策日:平成29年(2017)12月14日(木)

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