AKB48の旅

AKB48の旅

死と再生の儀式、そして legitimacy

2016年12月28日 | AKB
まったくの偶然が特別な意味を持つかの如く錯覚される、もしくは重大な意味を後付けで付与される、そんなこんながしばしば「神話」のルーツだったりする。クリスマスの起源が冬至なんであり、古代ミトラ教における死と再生の儀式に端を発するとされるのは言うまでもないことだけど、今年のクリスマスは、正にそんな「特異日」に当たるものだったのかも知れない。

24、25日に、欅坂の初のワンマンライブが行われた。26日には、島崎さんの卒業公演が行われた。(そしてカッコ付きにしとくけどSMAPの終焉でもあった。)

まず間違いなくまったくの偶然だし、直接的な因果関係なり関係性は存在しないだろう。けれども、そこには「錯覚」を生じさせるだけの濃厚な意味空間が漂い広がっている。ずっと後になってから振り返って、後付けで決定的な事象となって再解釈される余地が与えられてしまってる。少なくともそう指摘することは可能だろうと思う。

欅坂が新興勢力にして、平手さんの宣言通りに「上り坂」であることは明かだろうし、島崎さんが言わばAKBにおける「王権」の正当な後継者だったことも、こちらは異論のある方もいるだろうけど、私的には自明だった。この時系列を、錯覚した上で拡大再解釈するなら、今年のクリスマスを転機として、前王の死と新王権の出現、そして「禅譲」が行われたかのように強弁することが不可能ではないことになる。

同時に、この「王権」の背後に蠢くシスの暗黒卿にして、すべてを取り仕切る司祭であらせられるところの秋元康氏が、島崎さんの正統な後継者候補筆頭の宮脇さんとともに、この新王権の宣誓式に「列席」していたことは、そう遠くはない次の「物語」の伏線となるのかもしれない。