AKB48の旅

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初ワンマンから紅白へ。「KEYAKIZAKA」の衝動を受け止めよ!

2016年12月29日 | AKB
初ワンマンから紅白へ。「KEYAKIZAKA」の衝動を受け止めよ!
http://bltweb.jp/2016/12/27/%E5%88%9D%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B4%85%E7%99%BD%E3%81%B8%E3%80%82%E3%80%8Ckeyakizaka%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A1%9D%E5%8B%95%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E6%AD%A2%E3%82%81/

本ブログでは、基本、構造主義的アプローチでAKBなるものを読み解いてきたつもりなんだけど、そこで使用してきた様々な術語、「外部性の侵入と動的平衡」「自己組織化共同体」等々、そして石門心学的な「一所懸命の思想」等々を通して、言わば日本なるものの基層的な構造を、このAKBムーブメントに重ねてきた。

驚くべきことに、と言うと不遜に当たるのかも知れないけど、平田真人氏のこの記事は、正に同様の趣旨の「構造」について語ってると解釈できる。しかもそれは欅坂。

同じ「秋元グループ」といえど、乃木坂にはこれは希薄だったわけで、となるとどこが分かれ目だったのか。やはり平手さんという存在があって、そこに「てちねる」を代表とする様々な化学反応の連鎖が起きたということなんだろう。とともにちゃんと調べてないけど、もう一つの決定的な要素として、初期AKBにおける夏まゆみ氏の役割と、欅坂におけるTAKAHIRO氏の存在が相似形になってるんだろうか。

平田真人氏の論考は、以前にも全面的に賛同させていただいてるけど、視点そして「思想」が類似するならば、それは当然ということにもなる。

勝負の3作目。刹那にきらめく季節を生きる欅坂46ならではの叙情性が染みる。
http://blog.goo.ne.jp/ichthyophagi/e/8f1c1d0cf17111196492ee5a8e2a8c13

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