AKB48の旅

AKB48の旅

無への跳躍

2012年08月28日 | AKB
3日続けての読売新聞サイドへの「お布施」だけど、水面下で何が進んでいるのか知らないけど、それはそれ。

以下読売新聞8月23日全面広告から引用

2005年10月30日。

オーディションに合格した君たちに
僕は言った。
「東京ドームへ行こう」
全力で伸ばした掌の1ミリ先に、夢はある。

秋元康

AKB48は証明してくれた。夢は叶うんだ。

以上引用

この「1ミリ先」という表現は、最初のドキュメンタリーのNHK版にも使われてて、私がこのブログを始めるきっかけになったのは既述。

何も見えない真の闇。その闇の一歩先、それこそ「1ミリ先の未来」に、足場があるかどうかは決して分からない。そこは底なし沼かも知れない。地獄の淵かも知れない。無そのもの、死があるだけなのかも知れない。けれども、その一歩を踏み出さなければ前には進めない。何も得ることはできない。

これは混同しやすいんだけど、ファーストラビットの比喩とは似て非なるもの。ファーストラビットは、そこに求めるものがあること、夢があることを確信してる。その姿が見えすらする。けれども「無への跳躍」は、そこには何も見えない。「無」そのもの。

その一歩を信じて歩み出す勇気、そこに足場はあるんだと信じて飛び込む勇気、それはほぼ信仰なんだろう。けれどもそれが現実なんであり、生きるということはそんな戦いの日々なんだ、そういう世界観。AKBが誤解されやすい理由の一つが、この世界観、そして「信仰」に無自覚なところなんだろうなとも思う。

まあ、そういう無自覚がザ日本人なんだけどね。