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ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

20161023

2016-10-24 09:47:26 | 7.私の日誌
日本語教育検定試験

 検定試験を受験してきました。危惧していました通り聴解問題が、さっぱりでした。
 言い訳いたしますと、騒音の激しい工場で仕事をしていましたので、昔から難聴でした。英会話の講習でも、若い人達が聞き取れているのに、私が聞き取れないというのを何度も経験しております。最近では、加齢のため、更に難聴が進んでいまして、テレビの音量で奥さんとのいさかいが絶えません。当然、加齢で、神経系のレスポンスも落ちています。従いまして、よく聞こえないのと、鈍臭くなっているのとが重なって、判断できなかったり、遅れたりしました。

 試験場で、聞きますと、申込時に、申請しますと、何か便宜を図ってくれるそうですが、どうなのしょうか。もともと、難聴は、高音部が聞き取れませんので、安物の補聴器をもってきて、音量を増やすだけでは無理かもしれません。もしかして、勘が働くかもしれませんので、もう少し、訓練をして様子を見たいと考えます。いずれにしても、実務につきますと、それらの能力が必要になりますので、少しでも、その穴を埋める工夫をしなければなりません。

 時間的には、スラスラ解いても、いっぱい、いっぱいぐらいでしたので、迷わず即断即決出来るように持って行くことが大切なようです。
 私のアドバイスは、聴解問題から入ってください。他の問題とは異なり、知識の問題だけでなく「感覚」の問題でもありますので、感覚を磨く必要があります。また、どなたかが、おっしゃっていましたように、出題パターンが同じなので、得点サービスエリアかも知れません。





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20160903

2016-09-04 03:25:09 | 7.私の日誌
日本語講座

 本日は、「受身の教え方」を習ったのですが、今までの自分の「迂闊さ」を痛感させられました。
 例えば、「来る」の「可能」「受身」「尊敬」の活用の形は、皆同じじゃ有りませんか。それに「使役受身」の活用も絡んで来るのでしょう。普通、「可能」だ、「受身」だ、「尊敬」だ、と順番に習いますので、何となく、それらの差も区別が出来るものと勘違いして、頭の中に入っています。

 それらの活用が「口癖」になっているネイティブは、活用は間違えません。
 しかし、ネイティブと言えども、形の上では差が有りませんので、その語の形だけでは、その役目は、全く判断できません。
 鋭い学習者から、「ネイティブはどこで判断するのですか」と質問が出てくるそうですが、そんなのネイティブも判断できません。ほとんど無意識のうちに、しかも、前後の言葉から、咄嗟にその役目を推測し、納得して、話を続けているのでしょう。


 さらに面白いことには、講師から、直接受身の例文を発表しなさいと言われて、ネイティブの例文は、すべて、使役の含んだ「使役受身」を使った例文になっており、ノン・ネイティブだけが、使役の含まない普通の受身の例文になっていました。

 「使役受身」を含んだ例文は、単なる事実を述べる文ではなく、通常、自分が感じた悪感情を述べる文になっています。どうも日本人は、事実をそのまま述べるのではなく、感情も混ぜて、あるいは潜ませて、話したがるようです。
 その点、ノン・ネイティブは、事実は事実で述べようとし、感情は感情で、別に述べるようになっているのかもしれません。したがって、そういう話し方に慣れていますノン・ネイティブは、日本語らしい日本語になりにくいのかもしれません。
 ノン・ネイティブのSさんは、やはり、良い課題を与えてくれます。


 昔韓国の経験で、ある人と話していて、日本語は、正しい日本語なのですが、何か無味乾燥で、なかなか馴染めなかったのですが、もしかすると、上記のような理由からかもしれないということがやっとわかってきました。
 もしかしますと、事実だけを述べられた文になっていて、ご自分の感情が含まれていない日本語になっていたのかもしれません。




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20160806

2016-08-08 04:40:07 | 7.私の日誌
日本語講座
 今日は、講師から学習者に対して、「どんどん発話させなさい」とのアドバイスでした。要するに彼らが頭に描いたイメージを、日本語で表現させることが、重要であるとのアドバイスです。
 そう言えば、私の勉強方法は、場面を想定して、使える短文を集め、暗唱していましたので、単なる会話集の会話でなく、私らしさのある会話をしていたと考えます。場面を想定し、「ご自分が、イメージしたものを言葉に変える」という訓練が大切なのかもしれません。
 無味乾燥な出来合いの会話パターンを使うのではなく、ご自身の持てるボキャブラリーを駆使して、自分らしい発話ができるように、仕向けていければ、いうことなしと考えます。

 ただ、駆け出しの我々の心配は、思い通りの回答を、なかなか、引き出せない時にどうするかという問題です。たとえ引き出せなくても、臨機応変に、出てきた回答と教えたい課題と、上手く結びつけることができるかどうかということで、恐らく、課題に対する深い認識と素早い頭の回転が有れば、あとは場数を踏むことが解決してくれるかもしれません。
 もう一つは、目的の回答をさせる話術のテクニックのようで、講師は、言い換えたり、「なぜ」「どうして」を多用して、強引に、思い通りのところへ持っていってるようなので、そういう、テクニック、ノウハウを身に着けたいものです。

 上級者に対して、今後どう方向付けをしてあげればよいのかと言う課題に対して、講師からの回答は、日本人のための「日本語検定」にトライしてはどうかとのアドバイスです。
 こんなのあるのですね!! しかし、どういう勉強の仕方をすればよいのでしょうか・・・・・・

 日本人が使う日本語の辞書を使いなさいとのことでした。英語で言いますと、英英辞書ということになります。

(追記)
 たまたま、TVで「日本語検定」と言うのをやっているのをみました。問題を解いてみますと、なんと、誤解、誤答の連続です。一般の方、ゲストの諸先生方も似たようなものです。
 ということは、日本人でも正しい日本語を使っている人は極めて少ないのではないでしょうか。
 要するに、ほとんどの日本人は、間違った日本語を使っているのです。
 「ボランティア日本語教師」を名乗っていますが、教える資格なんてないのではないでしょうか。
 実に、お恥ずかしい次第です。

 日本語が話せるから、正しい日本語を使っているなんて考えていますが、これは大きな間違いのようです。









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20160730

2016-08-02 08:29:35 | 7.私の日誌
日本語講座
 本日もSさん参加。彼は、講師からの質問に対して、たとえ、文法的なことでさえ、スラスラと正しい回答を出して来て、我々ネーティブを唖然とさせます。かえって、ネーティブの回答の方がしどろもどろの状態です。しかし、文型を使った例文を問われますと、何故か、不自然な日本語が混じって来ます。
 我々にとりましては、あれだけ知識が有っても、不自然な日本語になってしまうんだというこのアンバランスを、強烈に認識させてくれます。何ともはや不思議なものです。

 日本語には、理屈では説明しきれない使い方が含まれているというのでしょうか、また、それが多すぎるというのでしょうか、あるいは、教え方に、まだまだ、改善の余地があるということを示唆しているのでしょうか。

 今回の講義にも、「~しないように、~する」と「~するために、~する」という文型が出てきました。あるいは、前々回の講義のように、「~とおりに、~する」と「~のように、~する」と言うような文型の比較も出たわけですが、ネーティブは、一言「程度の差」と言われれば、フィーリングで、何もかも、理解できますが、ノン・ネーティブは、説明されても、「アア、そうですか」レベルに留まってしまうのではないでしょうか。

 対面で、説明を行う場合は、いろいろな場面を創りだして、両方のことばの使い分けを教えることが出来ますが、それでも、実用となりますと、どうでしょうか・・・・
 一級を取った後は、独習になり、独習となりますと、・・・・・・・・・・
 ちょっと、想像がつきません。

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20160725

2016-07-29 05:44:41 | 7.私の日誌
日本語教室

 本日の担当は、一級の検定試験を受けてその結果待ちの年配の学習者。
 新聞記事を読み上げ、いろいろな問題点を取り上げて、会話を進めていきました。記事の内容が把握できているか、単語の意味が分かっているかを聞き直したりして、確かめて行きました。
 新聞には、話し言葉では、あまり使わない書き言葉が、頻繁に出てきますので、それらを中心に行いましたが、やはり、いくら辞書を使って調べても、意味を取り違えているという現象が、時々出てきます。

 学習者のお悩みは、普段の生活においては、そういった点を気づかせてくれたり、直してもらえるというような環境が、身近にないということのようです。すなわち、意味を取り違えていても、フィードバックして再検討するようなシステム、段取りにはなっていませんので放置しっぱなしになります。
 従いまして、何かを変えないと、永遠に、この状態が続いてしまということになります。

 また、よく考えて見ますと、このレベルの方へは、日本語教室に参加しても、「課題」だけに終わってしまい、「生(なま)」の会話に接する機会は、ほとんどないのではないでしょうか。
 そして、恐らく、生の会話では、このレベルの方に対しては、誰も、間違いを指摘したり、アドバイスをしたりはしないでしょう。
 なぜなら、聞き手の日本人にとっては、相手が、何を言っているのか、何を話したいのかが分かれば、それで十分。それさえわかれば、あえてごちゃごちゃ言わないでしょう。
 ということで、このままでは、上記のような状況が起こるものと推測します。

 一般的に言いまして、会話だけでは、言いっ放しになり、ことばは、何も残らず、消えていくだけです。また会話だけでは、単文や、短文だけで済んでしまい「子供の日本語」で足りてしまいます。
 「子供の日本語」から「大人の日本語」へ脱皮するためには、やはり、複文を熟さなければなりません。どうしても、子供の作文、英作文の添削といったような手法がどうしても必要ではないでしょうか。

 これは、本教室に参加されて日本人とメールのやり取りをして、ここで、その添削してもらっていた方からのヒントですが、現在では、「電子メール」という文明の利器があります。作文をして、添削を受けますと、普段、気が付かない間違いを指摘してもらうことができますし、どう修正すればよいかも教えてもらえます、書き言葉の学習ができ、「大人の日本語」に近づくことができるのではないでしょうか。

 「大人の日本語」を目指す方は、「日本語書き言葉」の習得を目指していただきたい。そして電子メールの利用を、お勧め致します。
 電子メールなら、時間の制約を受けません。双方の空き時間を利用して行えば、毎日でも、添削を受けることができます。どちらも推敲を重ねますので、中身の濃い学習になるのではないかと考えます。
 どうぞ、ネーティブからの添削を受けてください。






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20160723

2016-07-25 03:48:33 | 7.私の日誌
日本語講座

 模擬授業の順番が、今回、私に回ってきました。テーマは、「~通りに、~。」です。
 既習の日本語と絵カード、ゼスチャー、簡単な会話のやり取り等で、導入する訳ですが、ポイントは、日本語の中には、類似のことばが、複数あり、その程度によって、使い分けなければならないことで、今回のテーマも、「何かと同じように動作等を行う」のですが、その模範、規範に従って行う動作の忠実度が非常に高いということです。
 講師のアドバイスは、「絵描き歌」や「おりがみ」を使ったらどうですかということでしたが、私は、遊戯のような「手遊び(大きな栗の樹の下で・・・・)」を利用しました。
 これだけでは、余りにも内容が少ないので、復習に時間を使いました。

 講義の進度は、単文を複文に直すと言う段階に入ってきていますので、「何故、複文にするのですか? 意思の疎通は、複数の単文でも、十分出来るでしょうに・・・・。例えば、幼児のように・・・・・」と言う説明から入りました。
「自然な日本語らしい日本語」を、お望みの方には、単文をたくさん並べる幼児の日本語でも意思の疎通はできますが、複数の単文を、繋げて長い文章(複文)にしますと、随分、日本語らしくなりますのでお薦めしたい。
 また、幼児の日本語、子供の日本語は、話し言葉としては利用できますが、余りにも幼稚過ぎて、書き言葉に利用出来ません。しかし、複文にすれば、書き言葉としても、十分使用することが出来ますと。
「子供の日本語から大人の日本語へ」「大人の日本語へは、複文がアシストしてくれます。」

 文章と文章を繋げるために、接続詞や接続助詞という言葉が、その役を担ってくれます。
 接続詞は、一語ででも意味が有ります(そして、それから、しかし・・・)が、接続助詞は、一語では、意味は有りません。しかし、動詞や形容詞の後にくっつけると、いろいろな働きをしながら、文章と文章を繋げてくれます。(~て、~ながら、~たり~たり・・・・)
「~通りに、~。」もその一つです。類似のことばに、「~ように、~。」と言う言葉がありますが、模範、規範に当たる範囲が広かったり、また、その忠実度も曖昧だったりします。

 慣用句的な利用として、「言われたとおりに、思ったとおりに。元通り、時間通り、注文通り、計画通り、・・」

 ちょっと手を抜いたところは、やはり、指摘されました。子供の日本語の例を列挙する時は、質問し、発話させて、板書する方法が望ましい。あるいは、文字カードを準備しておいて、示すほうが良いでしょうと言う評価を受けました。

 ただ、質問して、こちらの思うフレーズを発話させるという話術は、なかなか、高等過ぎて、まだうまくやれるという自信がありません。
 まず、私が、ことの本質をしっかり把握できているかどうか良く分かっていませんし、また、彼らが普段から、何を考えているのかよく分かりませんので、設問に対して、どんな回答が返ってくるか全く、予測がつきません。
 回答が、意図したところから外れていったとき、設問を原点に戻したり、言い換えたりして、再質問できるかどうか、またそのタイミングを、うまく計れるかどうか。
 あるいは、捻じ曲げてでも、意図するところへ持っていけるテクニック等々が要求されます。

 現在、講義を受けて、ことの本質を学んでいる最中なので、まだ、そのレベルには、だいぶ距離が有りそうです。できれば、自分で、複数の場面を、想定して、シミュレーションを、どんどんやってみたい。


 自分としては、既習の分かりやすい言葉を使ったつもりです(なるべく、類似のことばを使って、何種類か言い換えるようにしました)が、実際に理解してもらえる程度だったかどうか自信は有りません。取り敢えずは、対策として、「言い換え」を多用するようにして、その反応を観察し、効果の程を確かめたい。



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20160716

2016-07-19 04:05:30 | 7.私の日誌
日本語講座

 今回も学者志望のSさんが出席しました。
 講師からの指名で、メンバーが、課題に対して例文を提示しますが、ネーティブは、ほとんど、間違ったり、不自然な表現したりしません。ところが、そういった場合、ノンネーティブの彼は、やはり、間違えてくれて、考えるヒントを与えてくれます。そして、日本人のメンバーは、「アア、こういう間違いをするのか」と認識できる訳です。

 今回、「~とおりに、」が課題で、彼は、「みんな、ご存知のとおりに、言語を習得するのは難しい。」と例文を作りましたが、言わんとするところは良く分かりますが、やはり不自然です。
 講師の指摘は、「みなさま、ごぞんじのとおり、~」は、ほとんど慣用句になっているので、そういう使い方の方がよいだろうとのことです。ただし、回答としては、設問から少し外れているようで、設問通りならば、語尾は、形容詞ではなく、動詞になるような物を選んだほうが良いでしょうとの指摘です。(ノンネーティブにはこの理解は、非常に難しい。)

 私の見解は、英語には、「時制の一致」とかが有りますが、日本語には、丁寧語・尊敬語が有って、全文語調が同じでないと不自然に感じるということが有ります。慣用句は慣用句ですが、「丁寧さ「の一致とか、「ぞんざいさ」の一致とかが、先にあるように思います。
 「です。」、「ます。」調、「だ」、「である」調等々は、複数の文章が集まったとき、前から後まで、統一されていないとまずいですが、同一文章の中で、丁寧語のレベルが、一定していないと、やはり不自然な日本語になります。(「みんな」と、「ご存知」はでは、丁寧さに差があるように感じます。)
 
 私は、英語、中国語は、丁寧語の存在しない、ぶっきらぼうな言語と考えていますので、もしそうだとしますと、彼等には、丁寧語のレベルを揃えるなんて、先ず、概念が存在しないでしょう。新たに、その概念を取り入れて、そして、それを、使いこなすとなりますと、やはり、まだまだ、時間がかかりそうです。

 設問から回答がずれている件は、まだ、「とおりに」と、「ように」の区別が出来ていないように感じます。「とおりに」は、「そっくりそのまま真似る」ような意味合いですが、「ように」は、単に、「同じように」という意味で、だいたい似ていれば良い程度で、それほど厳密に、「同じ」を要求しているわけではではないと思います。




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20160711

2016-07-13 04:44:56 | 7.私の日誌
日本語教室

 前回と同じ方を担当しました。彼の場合、最終的には、普通の学習者と違って、学者を志していらっしゃいますので、一般的なやり方でなく、別のアプローチが必要と考えます。そう言った方向付けの助けになるものを見つけ紹介したいと考えました。特に、学校ではあまり教えてくれなさそうな、話題、課題を提供出来ればと考えます。

 以降は、私の独断です。
 メインのテーマは、我々の日本語講座の講師のアドバイス「日本語らしい日本語(表現)」、[自然な日本語」、「大人の日本語」です。言葉を変えますと、「できるだけスリムな長文が作れ、かつ、日本語として違和感がない。」
ということになりますか・・・・・・

 先般の観察から、日本語英語(カタカナ語)には、余り力を入れていないように感じましたので、その必要性を説明しました。専門的な仕事や学問的になればなるほど、必要になって行きますと。また、いくら日本語の先生でも、英語が必要になり、日本国内で議論する場合は、どうしても日本語英語が多くなってきます。
 日本語学の中にも、テンス、アスペクト、モーラ、アクセント、イントネーション、等々一般では使わない日本語英語が出てきます。

 このブログの中に、「カタカナ語」として紹介して有りますので、どうぞ必要を感じたときは参考にしてくださいと言う訳です。
 彼は英語が出来ますので、重要性の認識さえすれば、全く問題ないでしょう。

 日本語の「会話」では、「私」あるいは「あなた」という語は、ほとんど使いません、との紹介は有りましても、その後の説明が余り有りません。しかし、「私」あるいは「あなた」を指す言葉は、古語も含め、ふんだんにあります。英語、中国語の会話においては、「I」、「you」、「我」「你、您」を必ず使いますが、一種類しかありません。そして、「I think~」「我想~」という表現になります。日本語はこのギャップをどう埋め合わせをするのかといいますと、各種活用や語尾の変化で行います。初級者には無理ですが、上級者にはこういう理解があってもよいと考えます。強い思い、軽い思い。少ない可能性、多い可能性、弱い薦め、強い薦め、一般的な話・・・・

 今回質問を受けましたのは、専門用語で言えば「相対テンス」というものです。これは教えるのが非常に難しい。特に駆け出しの私には・・・・
 何となく気が付いたのは、場面を想定することでした。①一般的な話を述べる。②自分がこれからやろうとすることを述べる。③既にやったことを、誰かに話をする場合等を、はっきり区別する。複数のアクションが混じっているときは、時間軸を利用して、どれが先で、どれが後か、やった順番を整理することのようです。やはり参考書にも時間軸で説明してありました。

 と言う訳で、取り組み方を、実際の文章からアプローチしますと、区別がつきにくく、頭の中が混乱してしまいます。
いつ、私が、誰に、何をどう説明したいのかをイメージしないと、いくら、文章を眺めても、一向に、何もわかってきません。
「自分は何をしたいのか」「自分は何を伝えたいのか」という明確なイメージをもって、取り組まないと、理解は、非常に難しいと感じました。

 実際の会話に則して考えますと、聞く方も、話し相手の状況をイメージしながら聞いていますので、たとえ表現が間違っても、実際をイメージ出来ますし、あるいは、長い文章を短文に分割し、つじつまが合うかどうかを考えていますので、納得が行かなければ、聞き直したりして、不具合を修正するでしょう。どうも学習者は、イジワル問題を、あてがわれているように感じます。
 
 講師のアドバイスでは、日本語学は、我々駆け出しよりも、はるかに進んでいますよとのことでしたが、全く、その通りで、上記に関する4例文を、すらすら提示してくれました。私がすでにプロであるならば、例文を挙げ、説明ができても良いはずですが、できません。
 すばらしい。本気度が、ヒシヒシと伝わってきます。




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20160709

2016-07-10 03:55:43 | 7.私の日誌
日本語講座

 本日は模擬授業の日です。日本語教師を目指し月曜日の日本語教室に参加していた方も、授業に加わりました。やはり私の推測通り、日本人にはないアクションを起こしてくれるので、非常に有意義です。日本人同士では気の付かない点を指摘してくれます。

 模擬授業の課題は、「助言」「忠告」で、類似の文型の復習から、本題に入って行ったのですが、最後に、彼から、今日の授業は、「おすすめ」についてですねと、念を押す質問が出ました。全くその通りで、授業の内容から言っても、「助言」「忠告」という言葉よりは、「おすすめ」に近い内容でした。(実際の文型は、「~したほうがいいです」「~しないほうがいいです」)

 私の考えでは、授業に入る前に、前置きとして、「今日は、~について授業を行います」と宣言したいのですが、初学者に分かる適当なボキャブラリーが有りませんので、伝える方法が有りません。私の気分として、なかなかそこが、すっきりしないのです。
 模擬授業の先生は、丁寧に授業を展開されましたが、彼には、今ひとつ、というところだったのではないでしょうか。その質問によって、明確に「ダメ押し」が出来たものと考えます。
 ということから、やはり課題を明確に伝えられる、何かが必要だということが分かりました。どうもそれがないと、頭の中で、宙ぶらりんのまま放って置かれた感じで、確信、納得しなければ、しっかり、定着しないのではないかと考えます。

 例えば、絵を示し、「こういう場面で、自分のこういう気持を、伝えたいと思いませんか。そういう時は、こういう文型を使います。」と言うような形で入っていけるようなものが準備できれば、いいのですが・・・。
 要するに、文型が先にあるのではなしに、私のこういう気持ちを伝えたいというのが先で、そういう場合に、この文型を使うのですよというように持っていければ良いのですが・・・・・。

 また、「~かもしれません」の文型では、肯定的、否定的どちらかわからないので、二つの文章を並列的に並べた回答が出てきました。日本人だけならば、「~かもしれませんし、~かもしれません」とつなげて表現できるのは、知っていますので、全く、疑問でも何でもなく、即スルーしてしまいますが、滞り、問題定義をしてくれました。
 
日本人同士の会話は、まだ聞き取りにくいようで、授業後、2件ほどについて、質問が有りました。その中に日本語英語が有りましたので、次回、日本語英語をどうとらえているのか、探ってみたいと考えます。
 しかし考えてみますとこういう質問は、なかなかやり難いものですが、かなり、正解に近い線まで達していますので、質問が質問になっていますが、発音をうまくとらえていない状態では、恐らく、なんのことだかさっぱりわからないと思います。

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20160704

2016-07-06 08:20:20 | 7.私の日誌
日本語教室
 久しぶりに参加しました。
 既に、一級の資格を持ち、日本語教師を目指しているという方が参加しているとの講師のインフォメーションが有りました。そういう方は、めったにお目に掛れない人だろう、いろいろな面で、お互いにギブアンドテイクができるのではないかと考え、接触すべく、参加しました。

 ともかくは、大学院試験に通りたい。「日本語文法ハンドブック」を勉強したい。参考書を手に入れたいというご希望でした。
 パソコンもスマートホンも使えるということなので、日本語教室だけでは、全く時間が少ないので、メールを使うことをアドバイスし、教室では、問題の解決することだけに集中する。問題点をメールで解決してもよいし、前もって、提議してもらえば、我々が、答えを、準備できるかもしれないという話になりました。

 共通の先生である俣野先生の「日本文化を肯定的に捉えている人の方が日本語の上達が早い」という観察に基づいて、日本文化とは何ですかというところから始めました。彼にとっては、学習者としましても、指導者としましても、必要な課題だと考えます。

 私の感覚からしますと、一級の資格を取ろうとしますと、一般的な教養と、日本に関する教養も、多少凸凹が有っても、可成り身に着けていないと大変なようです。しかし、テーマを選んで、話をすれば、正しく、素早く理解されるものと信じます。
 そこで、恐らく教室では教わらない日本人の背景、バックグラウンドにある日本的な生活、習慣、考え方を紹介したいと考えます。遠回りに見えてもそれがかえって近道であると考えますし、プロおよび専門家になるためには、必ずそういったアプローチが必要になると考えます。

 ただ残念なことは、私の中国語(主に単語)が伝わらないことです。また私が、咄嗟には漢字で書けないことです。いちいち、電子辞書とかの世話にならなければなりません。

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