熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。
「ここに無量という字が
あるでしょう、
それで世親はこの一段を
無量種と
こういっておるんです。
無量という字が中心。
この経文に出てくる
一番大事なですね、
ちょうど音楽みたいな
もんなんですすよ。
音楽というものに、
なんといいますかね、
大乗経典というのは
音楽的なリズムで
できておる経文なんです。
音楽というのは
オーケストラなどと
いうものがあって、
主題というものが
ありましてですね。
第一主題とか、
第二主題とかある。
主題を押さえるということが
大事なんです。
よくね、昔の人は
字眼ということをいう。
一つの文章の中に
一番中心なる言葉を押さえる
ということがね、
これが大事なことです。
あれも言ってある
これも言ってあるという
ことではなく、
中心点を押さえて来る。
字眼を押さえる。
そういうことが大事なんだ。
ここにも、
無量という字がこうあるです
この無量という字を
世親は押さえて、
『無量種を修行す』ると
いうように、
この一段の経文を
解釈したんです。」
よく先生は経典を
オーケストラのようであると
いっておられました
やはり、主題という
こういう言葉を見つけないと
経典は読めないのでしょう
『十地経』でも「不動地」と
第八番目ですが、
初地から「不動」という
ことが貫いていると。
先生の講義でも
同じような感じです
何度も出てくる言葉
例えば、対治ということも
そうですが
方便智発起殊勝の行
他にも色々ありますが
なにかしら、
耳に残っている言葉が
あるのです。
この字眼ということも
面白い言葉で
別の言葉では
「警策」(けいさく)
という言葉もあります
警策とはふと思もいつくのは
座禅の時、眠たくなったら
肩を叩いてもらう棒も
警策といいます
もとは、馬を走らすために
打つ策(むち)から
きているようですが
やはり、詩や文章で
肝心かなめになる言葉も
警策といいます。
それから、詩眼という
言葉もあります
字のように、
漢詩で要になる字です。
安田先生の講義も
オーケストラのようなもので
一つの事柄を
あちらからこちらから
西洋哲学も交えて
話していかれます
もうこれで終わったのかと
思いきや
また元に帰っていく
というようなんですが
やはりその中心は
「菩提心」
ということだと思います
菩提心から菩提心は生まれる
迷いの心が次第に菩提心に
なっていくのではなく
菩提心からしか
菩提心は生まれないのだ
ということなんです。
まあ、
「字眼」という言葉も
面白い言葉です。
行動とよく似てますが
行道はやはり仏教用語
ですから、(ぎょうどう)と
読みます
行じて道となす、
というような意味でしょうか
講義の中で
この本が紹介されたのです
『行道仏教学』
行道という言葉に何かしら
惹かれるというか
素晴らしい言葉のように
思うのです
「行というようなことを
言い出した、
行道といって、道を行ずる。
これは僕の古い友人でしたが
大正の終わりごろですけど
京都大学にね、学友でしたが、
初めは西哲をやっていた
途中から仏教に籍を変えた、
在家の出の人でしたけども、
西哲から印哲に変わった人
です。
まあ後で花園大学の教師か
何かになった。
惜しいことには
亡くなりましたがね、
その人が本を一つ書いた。
自分の仏教研究をまとめた。
『行道仏教学』
というんですがね。
それは僕は非常にいい名前だ
なと思ったんです、
印象に残っているんですが、
行道仏教学。
世の中は狭いもんで、
あんた達はしらんかね、
佐藤通次というドイツ語の
字引を作った人がいました。
これは京大の出身で、
九州大学におられた。
『独和言林』といって
あの人の字引は有名です。
その人が仏教に非常に関心が
ある人で、
僕はその人の思想はあんまり
好まんですけど、
右翼的なところがあってね、
けどあの人の字引はいいです
あるひとつの堂々たる
言語学者ですわ。
その人が、『仏教原理』
という本を書いた。
何書いたんかと思って見たら
序文をひょっと見とったら、
今いった釘宮氏の
『行道仏教学』
というのものを
佐藤氏も読んでね、
非常に感動を受けたと、
今でもそれを手離すことが
できない書になった
ということを佐藤氏が、
いっとる。
やっぱりそういうあんまり
広告せん、
釘宮君というのは
非常におとなしい自己宣伝の
ない、
知らん人は今でも
知らんでしょうけど、
やっぱりそういう人が
やっぱり見る人があって、
見出すもんだなあと
思いましたが、
行道仏教学という言葉が
いいですわね。
普通は仏教哲学とか、
教理仏教学とか、
思想仏教とかと
いうものじゃない。
教理の仏教や思想の仏教
じゃあないんだ、
行道の仏教ですね。
何かそういう
「行」という立場からの
一つの仏教学というものがね、
考えられていいと思います。」
ということがあって
この本を調べていたら
何時もの古本屋
「其中堂」(きちゅうどう)
にあったんです
三条寺町にある
学生時代よく通ったものです
昔は所狭しと
本が積み上げられていました
今はすっきりと
整然と本が並べられています
見上げると昔からの
店の名前が掲げられています
まあ店の形は昔のまま
値段は2200円
あまり人気がないのでしょう
こんな立派な本が
初版は5500円で売られていた
ので当初は高価な本だった
のでしょう
釘宮武雄という人
明治35年、大分県の生まれ
昭和14年、38歳の時に
この本を出版されています
昭和23年47歳で亡くなられ
ています
この本を一冊だけ
書かれているのです。
本は誰の手にも触れなくて
そのままの状態で古本として
残って来たようです
少しずつ読み進めてみようと
思います。
自由ということも
色々考えされられる問題で
民主主義といえば
「自由・平等・博愛」
ということが信条です
ところが
もっと内面的にというか
自分の問題として考えると
前回の
「使命」
ということの続きですが、
「(使命)そういうものが
あるんだと思うんですね。
どうしても生きんならん
ものがある、ええ、
好き嫌いを超えて。
そういうときに
力が出てくるんじゃないか。
もうわしの自由だという、
そんなときには
何も力は出てこんでしょう。
昼寝でもできるんだから、
嫌なら。
そういうときに
何も力は入らんわね。
自由、自由といって、
何でも自由だというような
ことをいって
猿股もふんどしも
取ってしまってみなさい、
何か力は出て来はせんです
あんまり自由で。
ふんどし締めるとこに、
それが拘束やわね。
初めて力が出るわね、
自由にも。
もっと自由に
ふんどし取ったら何も
動けないわね。
力が入らんでしょう。
そういうように、
拘束されるときに
自由が動くんです。
何もかも自由だといえば、
それほどつまらんことに
なってしまう。
自由にはできんというんで。
そういうときには、
必由ということがある、
普通では自由というけど。
曇鸞大師の言葉に
必由という言葉がある。
自由、
つまり言ってみれば
不可自由だ。
自由すべからずという。
必由なんだ。
必は必然です。
必然に由る。
あるいはこういってもいい、
必然が自由なんだと。
必然と自由じゃないんだ。
必然をもって自由となすと。
せんならんものを
嫌々するんじゃない、
喜んでせんならんものを
引き受けると、
それは自由でしょ。
しかも必然でしょ。
だから必由という、
非常にいい言葉がある。」
三浦先生の幼児教育を
見ていると、
結構、拘束があるんです
はたから見れば
幼児たちに、
挨拶を教え込むのに
子供だから
ということではなく
大人と同じように
きちんとした挨拶を
教え込んでいかれます
また、
保育発表会では
まあ、子供たちには
理解できないだろうという
そういうことでも形を
教え込んでいかれます
自由表現ということではなく
これは、こう。
あれは、あれ。
というように
分かる分からないを超えて
まず形を教え込んでいく
ということです
不思議なことに
形を教え込むことによって
そこから子供たちの
それぞれの個性が
光ってくるように思います
制服も同じように
個性といって
それぞれ好きな恰好を
させるより
制服と決めた方が
それぞれの個性が
際立ってくるようです。
高校生でも卒業の時
やんちゃだった生徒たちが
一人ずつ手を握り
先生ありがとう、と
卒業していかれます
厳しかった校則のお陰で
本当の自分が表現できた
ということではないかと
思うのです。
なるべくしてなったという
そういう必然性が
本当の個性を生むし
それが本当の自由という
ことだと思います。
いよいよ、シン・本蔵院が
始動し始めました
地鎮式も終わり
これから着工の段取りです
どういうものが建立されるか
楽しみです
代々この限られたスペース
の中でいかに有効に
生かしていくかが
智慧のだしどころのようです
思考錯誤を繰り返しながら
次第に構想も固まり
正に誕生しようとしています
最近、新しい言葉で
コスパということは
かなり浸透していますが
新たに、タイパという
cost performance
に対して、
time performance
という、
いかに時間を有効に使うか
ということです
さらに、空間利用と
スペパという
space performance
という言葉も生まれた
ようです
本蔵院もわずか200坪という
本当に小さなスペース
どれだけ上手に活用するかが
課題です
色々考えていくと、
現住職の話ですが
先代が如何に知恵を絞って
お寺を建立されたかが
ひしひしと伝わってくる
ということです
いざ解体して新しく創る
となると
何気なく見過ごしていたこと
が、その工夫の跡が
伝わってくるということです
コスト、ということは
この時勢、色々な世界情勢の
問題もあり
コストの高騰
そこかが最大の難関です
頂いた浄財を最大限生かして
創るという
設計の方々と知恵を出し合い
これからの新しい
お寺像を目指しての
設計です
タイパということも
時は金なり、といいますが
仏教的には時は命なり
ということです
戒律ということも
ただ、してはいけないと
規制するのでなく
無駄な時を過ごすな
ということです
命は短い
あっという間に
過ぎていきます
その限られた時間内に
自分の生きる意味を見つける
ということは
本当に集中して時間を大切に
しなければ
気がつけくと
棺に片足が入っている
ということに
なってしまいます
スペパという新しい言葉も
我がお寺にとっては
最大の問題です
本当は庭があって
ゆったりとした
アプローチが欲しいのですが
このスペースでは
致し方ありません
いかに、そういう形を
醸し出すかが知恵の絞り
どころです
本来は
「仏は無一物」といって
頭陀袋に七つ道具を入れる
だけの持ち物です
お袈裟も元は糞雑衣といって
トイレ掃除をした後の
捨ててしまうような布を
継接ぎして一枚にしたもの
ですから、
縫い目が表に出てます
まあ、SDGsです
でも、
お釈迦さまもさすがに
あるお弟子が大切にする
のはいいけれど
継ぎ接ぎが重なりすぎて
段々袈裟も重くなり
見るに見かねて
その袈裟は
新しいものに変えなさい
と仰ったという話があります
祇園精舎というように
精舎となり生活を営む
ということになると
それなりの必要備品は
増えてくるものです
そこをいかに上手に
収めていくかも
腕の見せ所です
しかし何よりも
その場所において
智慧を生み出す、生産する
ということが最も大切な
ことになります
今日もテレビで
東寺のお寺が紹介されて
いましたが
今はくすんだ色ですが
出来た当初は
瓦は緑釉瓦、柱は朱色
何とも鮮やかな色彩だった
ということです
当時としては最先端の技術の
結晶がお寺だったのです
今は、ソフト面において
お寺は最先端とまでは
いえないのですが
それなりに充実したものが
必要になってきます
しかし
内面的なことは
人間が生まれて以来
迷いは変わっておりません
人間の心の原始林を
開拓していくのも
お寺のハタラキなのです
来年秋には完成予定です
楽しみです。
住職を辞したとき
何と呼んだらいいですか
ということで困ったのですが
普通には住職を引いた人は
別当とか相談役とか
いろいろあるようですが、
何かしら
そういう役職がいやで
前の住職ということで
「前住」(ぜんじゅう)で
どうでしょうかと
いうことで
今ではすっかり「ゼンジュウ」
ということが
定着したのですが
ちょうど
『十地経講義』を読んでいると
「参与」という言葉が
出てきたのです。
この「参与」という言葉も
普通には
明治の頃の政府の高官とか
学識経験ある人を行政事務など
の相談にあずからせること。
というようにあります。
内閣参与とか。
ということで
あまり
好きな言葉ではなかった
のですが、
講義では
もっと深い意味をもった
内面的な意味をもった
言葉として出てきたのです
「生きてる歴史に出会えば
自分もその中に、
そういうことを参加という、
参与という。」
というように出てきたのです
ちょっと驚きです
「参与すると。
生を共同するんですわ。
個人を超え、歴史に召され、
かつ歴史を生産していく。
歴史に生まれ、
また歴史というものを
生んでいく。」
具体的にはどういうことを
したらいいのか
分からないのですが
まあ、「参与」ということも
いいのではないかと
思ったりしています。
本来は、個人を超え
本来の自分というか
本当に自分の使命に生きていく
そういうことなのでしょうが
難しいことです。
けど、
「名は体を表す」
ということをいいます
そういうことを
名乗ることによって
具体的なことが
発見できるのかもしれません
一応、
みなに提案してみようと
思っています。
「参与」
しかし、世間的には
こうう内面的な意味は
分からないと思います
何かしら権限を持ったような
そういう誤解を
生むかもしれません。
そういう私のことは
別にしても
「参与」という言葉には
歴史の中に参加する
というような
非常に大切な内容をもった
言葉なのです。
「歴史」という言葉が
よく出てきます
ただ、何年に何があって
というような年表的な
ものでなく、
上手に言えないのですが
講義の文を読んでください
「人生というものを
舞台に乗せて、
舞台の外から、
人生の外から人生を観察する
というときに、
やっぱりそこに
人生観とか世界観とかいう
言葉がある。
傍観という立場がなければ
学問は成り立ってこない。
中に巻き込まれとったんでは
しかしその、
よく考えてみると、
舞台の中に乗せることが
できるものが歴史だ。
歴史を観察するというが、
観察することのできんもの。
歴史を観察するといえば、
自然を観察するのと
変わらないものに
なるでしょう。
歴史は観察できないものだ
ということがですね…。
なぜかといいうと
歴史を観察するということが
歴史の中にあるんですから。
歴史を観察するということが
そういうことが
可能であるのはやっぱり
そういう歴史的段階なんだ。
仏教の歴史というものは
教理というような
ものじゃない、
仏道がそこにおいて
行ぜられとるという歴史です。
そういう歴史を我々は
傍観することはできない。
そこに、
その仏教の行としての
歴史に会う。
そこに我々は歴史を
生きんならんように
させられる。
傍観しとらずにですね。
歴史が生きとる、
生きている歴史に会えば、
自分もその中に、
そういうことを参加という、
参与ともいう。
ティリッヒという人が
いますが、
あの人がよく使う概念です。
参与ということも、
非常に大事な概念の一つです
参加するといってもいいです
参与すると。
生を共同するんですわ。
個人を超え、歴史に召され、
かつ
歴史を生産していくんです。
歴史に生まれ、
また
歴史というものを生んでいく
もう個人というものが
そこにないんですわね。
そういう時にはじめて
我々はね、
使命ということがそこにある
自分の好きなようにする
ということはなんか
いいようだけど、
それほど自分はつまらんもの
なんだ。
止めようと思えば
止められる、
やろうと思えばやれると、
自分の自由になると、
それほど
自分の自由になるほど
自分はつまらんもんです。
そうじゃない。
やりたくなくても
やらんならんという、ええ。
やりたいか、
やれるかやれないか、
やりたくないかやりたいかを
越えてやるという。
そういうところに、
自分の生きている
ということに、
自分の興味でどうにもならん
そういうものを使命という。
そうでしょう、使命や。
清沢先生は、
それを本分といってますわね
本分。」
難しいようで
なんとはなしに頷ける
一文です。
自由というけど
自分の思う自由という
ことはたかがしれたもんです
まあ、
西洋では奴隷制度があり
その開放ということで
自由という
そういう意味では
重いものがあるようです。
ここでは
自分の思い通りになる
そういうことです。
自分の興味でどうにもならん
そういうところに
使命というものがある
のですが、
まだ、
自分の興味でどうにかなる
と思っているのです
好きなことがやりたいことが
それができて幸せと
しかし、
本当は
自分でもどうにもならない
ものがあるのを
うすうす感じ取っている
やはり究極は
召されているのでしょう。
歴史に。
「猶若聚墨」
この言葉も分かりにくい
辞書を引いても出てこない
あえて、
「猶若」は「猶如」と同じで
「なお~のごとし」
と唯識辞書には出ています
「聚」はあつめる
「墨」はすみです
文字だけ見ていると
分からないのですが
講義で見ると頷ける言葉
なのです。
「真理に出会うといっても
真理に生きた人に出会う。
真理に生きる人を通して
真理に出会うんです。
生きておらん真理なら
いわゆる観察もできるけど
そういうところに立つときに
何かそこにですね、
そういうものに触れたときに
猶若聚墨といってですね、
魅力を失うんです、一挙に。
消えるわけじゃないです。
そういうものに触れても、
教理とか文化とか
そういうものが消える
わけじゃない。
ただ、
味気ないものに
なってしまうんです。
昨日まであんだけ魅力を
感じたものを、
砂を噛むようなものに
なってしまう。
猶若聚墨といって、
これまで光っておった
もんですけど、
精神の光に触れてみたら、
そっれまで
光っておったものが
墨のようになってしまった
ということですね、
猶若聚墨ということは。
消えたわけじゃない。
まったくはや
どうでもいいものに
なってしまうわけ。
そういうものですね。
どうでもいい。
まあ、
なけりゃならんものじゃ
なくなってしまうわけです。
道というものに
出会わんまでは、
楽しいものが最高だった。
道というものに触れたら、
まあ、楽しいものは
別に悪いもんじゃないけど
別に
なくてはならんもんじゃない
道に触れるなら
苦しいものでもなお
それの方を求める。
道を忘れさせるものなら
楽しいものでも一向無意味だ
こういうような
一つの変化が起こるわけだ」
ということですけど
むかし、
三浦先生が
「聞かなければよかった」
ということを
つぶやいておられました
「もう、元には戻れない
聞いてしまった以上」
たぶん、
価値観が変わってしまわれた
のでしょう
三浦先生も
他のお坊さんのように
位や名誉を求めて
おられたのなら
赤い衣を着て管長さんと
呼ばれていたら
ある面問題はなかった
のかもしれません
ところが、
聞いてしまうと
もうそういうものが色褪せて
自分にとって一つも
大切なものでなくなった。
大切なことは
道に触れてしまうと
あえて苦しいものでも
それを受けて立とうと
そういう心に変わって
しまった
ということです
世間で生きる以上は
そういう地位とか名誉
ということも
大切なことですが
本当のことに触れると
妙なもので
そういうことが魅力を失って
しまうということです
どちらが良いか悪いかは
その人の価値観ですが
一応、出家という
世間の価値を
捨てたのであれば
やはり本当のことを
求めていくというのが
大切なようです
そういうことを
猶若聚墨というのでしょう
あたかも光り輝いていた
ものに墨を落としたように
光が失せていく
ということなのでしょう。
ふと思うと、
いつまで護摩を勤めることが
できるのだろうかと
それで以前使っていた
衣を出してきた
昭和54年3月18日と
新調した日付があります
以前、東寺の御影堂ミエドウで
お大師様へお給仕していた時
信者の方から頂いたものです
それ以来
お給仕の後、
お舎利さんを出し、
その後護摩を焚く時に
使っていたものです
護摩の火で穴もあいて
生地が紬といこともあって
折れ目から裂けたりしてきて
その度ごとに補修をして
今に至っているのです
ということもあり
今日のお不動さま(11月28日)は
この衣で臨んだのです
身体に馴染む衣で
何時もの木綿の衣とは
また一味違った趣です
こういう衣も
大切に補修して使うと
何十年も使えるものです
色褪せてくると
洗い張りをして染め直し
仕立て直すと
そういうこまめな手入れが
大切なのです
祖父の改良服も
そういうふうにして使って
いるのですが
かれこれもう100年は経って
いるでしょう
でも今だに現役で
その姿を止めています
やはり、昔は物が無かった
それで仕方なしに
修理しながら使うしか
しかたがなかったのです
普段着にしろ帯も
裏返してみると
その修理の後が残っています
こういうことも今でいう
SDGsということでしょうか
今では衣も化繊のものが多く
痛んでくるともうそれで
その寿命は終わり
ということです
しかしながらいいものは
それなりに補修して使うと
100年以上は使えるものです
そういうこともあって
今回のお護摩は思い出もあり
この衣とも
いつまで一緒におれるか
そういう感慨深い気持ちで
勤めたのです
不思議なもので
祖父の護摩を見て
批判していた自分が
東寺では10年余り毎日焚き
帰ったからは毎月焚くという
護摩と離れられない
そういう日々を送れたことは
何とも有り難いような
背きつつ離れられないという
妙なものです
まあ、続く限り
精一杯務めたいと思って
おります
ゆっくりした船旅で
今朝、帰って来たのです。