本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

影・陰・蔭・翳(かげ)

2020-02-18 20:21:10 | 漢字

「影」という言葉

何か知らず気になっている

言葉なのです

影、陰、蔭、翳と

漢字でも四つほどあります。

 

東寺にいた時、

弘法大師の御住房であった

「御影堂」にいました

御影堂とかいて、「みえどう」と

読みます

これは宗派によっては「ごえどう」

ともいうようです

 

また、今回のコロナウイルスで

いろいろな所に影響を及ぼして

います。と、

いうように「影響」という言葉も

かげという字が入っています

影響という字も好きな言葉で

「かげ」が「ひびく」と書きます

「形に影あり、声に響きあり」

ということで

一つの変化が他の変化の原因にも

なってくる、というように

その本体というより

その本体の波及効果が及ぶ

ということでしょう

 

また、

この言葉はお経にも出てきます

「影向」(ようごう)と読み

こういう句として出てきます

「定降臨影向給」

定めて降臨コウリン影向ヨウゴウし

給う、というように

仏さまがこの世に現れる

という意味で使います

 

仏教辞典には

「菩薩が仏の教化を助けるために

 影の如く響きの如く姿を自在に

 あらわして衆生を救う」

と出てきます

それで、影響と書いて

(ようごう)と読みます

 

影響(えいきょう)という言葉も

仏教読みでは(ようごう)と

なんだかおもしろい

 

また、

「おかげさま」という言葉にも

「かげ」という字が入っています

この場合は「御蔭様」と書きます

「蔭」という字に

「お」という敬語と「さま」と

二つの敬語が前後ろについています

漢字的には「陰」も「蔭」も

ほぼ同じような意味です

 

この「影」には

普通にかげという意味と

「ほんもの」という意味も

あります

ですから、

「御影堂」という場合

本当の方がいらっしゃる

しかし、本物の顔は見ることは

出来ないけど

影としてその方にふれるところ

なにかしら

そういう出会いがあるように

思うのですが

亡くなった方には出会えない

ではいらっしゃらないかというと

そうではなく

その方を影として感じることが

できる

そういうふれかたが大事なような

気がするのです

ですから「影」の言葉に

ほんもの、という意味があるのは

そいうことなのでしょう

 

人間と仏とでは位が違う

出会えるはずがないのです

では分からないかといえば

「かげ」として感じる

そういう出会い方が大切なような

気がするのです

そこに人としての奥ゆかしさ

があるように思います

 

梁塵秘抄に

「仏は常にいませども

現(ウツツ)ならぬぞあわれなる

人の音せぬ暁に ほのかに

夢に見えたもう」

とあるのは

そういうことなのでしょう

 

ほのかにかすかに感じとる

そこに仏がいらっしゃると

ここにいるぞ!と

決した現れてはこない

そういうことのように思います

 

「影」という言葉も

ずっと気になっていて

それでいて

まだまだ十分に分かっては

いないのですが

でも気になり引っかかている

言葉でもあります

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

 

 

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宿主(しゅくしゅ)とパラサイト

2020-02-17 18:30:53 | 漢字

「宿主」という言葉は

生物学の用語のようで

漢和辞典にはありません

宿-やど、主-ぬし、やどのぬし

ということですが

調べてみると

寄生生物が寄生する相手の生物。

寄主。やどぬし。

という意味です

で、この反対の言葉が

パラサイト(Parasite)です

今話題のアカデミー賞の4部門を

とった韓国映画があります。

 

パラサイトという意味も

一つには寄生生物。寄生虫という

意味があり、

次には、他人の収入に頼って

生活している人を俗にいう語。

とあります

派生した言葉に

パラサイトシングルという言葉も

生まれました

和製語で英語ではありません

1997年社会学者の山田昌弘の造語

成人後も親と同居し、生活を

親に頼っている独身者。と

広辞苑には出ています。

 

宿主という言葉は

今、一番気がかりな

大きな問題にもなっている

新型コロナウイルスです

このウイルという生き物

厳密には生き物といっていいか

分かれるところですが

ウイルスというものは

それ自体としては

生きることができないもので

他の生き物に寄生することで

生きていくものということです

その寄生されるものを宿主と

いいます

 

もともとは鳥やサルやコウモリを

宿主として生きていたものが

そのウイルスが変異して

人間にも移るようになった

ということです

サルやコウモリの中では

そのウイルスは共存して

感染しないのですが

人間に感染すると今のような

発熱や倦怠感、そして肺炎を

起こして、ひどい場合には

死に至らしめるという

ヒトとは共存できない

悪い存在となっています。

 

ウイルスは素早く変異して

ヒトと接触すると

ヒトに合うように変異して

ヒトを宿主として

自分の居場所を広げていきます

それが怖いのです。

 

ですから私たちは

常にこういうウイルスの脅威に

さらされてきました

そのウイルスと共存できる

身体を持ち得たらいいのですが

何せ相手は常に素早く変化し

私たちヒトはおおむね

25年に一度しか世代交代しない

そうです

今回抑え込んだとしても

また何かのきっかけで

新しいウイルスが生まれて

これは終わりのない

戦いだそうです

それも決して勝つことのない

 

今のように交通網が発達しない

時代であれば

もしウイルスが発生したとしても

その地域、村であれば

その範囲で収まっていたのかも

しれません

しかし、今は世界中が

飛行機や船、列車にバスと

あらゆるものでつながっています

それが便利でもあるし

また一歩間違うと

蔓延するのも早くなってきます

 

どうしたものか

高齢でもあるし持病もある

正しく恐れなさい

といわれても

何にどうやって注意したら

よいのやら

ウガイ・手洗いにマスクしか

今のところ方法はないのでしょう

 

ちょっと用事があって

京都駅へ出かけてみると

 

 

この階段、いつもですと

観光客で一杯なのですが

まあ、がらんとしています

 

 

エスカレーターで下りて見ると

少しは下の方に人が見えるほど

 

 

モニュメントも寂しそう

今の私たちには

必要以上に外に出ない

出ても人がたくさんいる所には

近づかない

ということが最善のようです

一日も早い終息を祈ります。

 

 

 

 

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涅槃図の中のドラマ

2020-02-16 19:10:29 | 住職の活動日記

中央に金色に輝くお釈迦さま

これは阿難尊者が見た

お釈迦さまの姿でしょう

お釈迦さまの最後の姿は

ひどい腹痛で下痢が止まらず

やせ細った年老いた老人が

沙羅双樹の木に横たわっている

そういう姿でしょう

しかし、

ずっとお仕えした阿難尊者には

やせ細ったお釈迦さまではなく

そこに法身の姿

法を説かれる偉大なお姿に

見えたのが

金色に輝くお釈迦さまです。

 

頭北面西に

頭を北に顔を西に向けて

休まれた

一説には、

腹痛のため右脇を下にして

休まれたとか、

それよりも

常々おっしゃっておられた

「四威儀」(しいぎ)

行住坐臥の行法です

歩く時は女性や酔った人とは

歩いてはいけない

まっすぐ前を向いて目は7尺下を

見て歩くように、

休む時は右腕を枕にして

右脇を下にして両足を重ねる

というように定めておられます

ということで、

いつもの自然な休み方でしょう。

 

右上に雲に乗ってやって来る人

先頭は阿那律尊者、その後は

お母さんである摩耶夫人

お釈迦さまが亡くなられる

ということを聞き付け

急ぎ天上界から駆け付け

薬袋を投げられます

その薬袋は右側の木に引っかかり

お釈迦さまには届きません

 

それを見たネズミが

木から薬袋を取ろうと

紐をかじり落そうとしますが

その時ネコがそのネズミを

食べてしまった

それで涅槃図にはネコはいない

という話もあります

 

薬袋投げたということから

「投薬」という言葉も生まれた

という話もあります。

 

阿那律尊者は

十大弟子の中では天眼第一と

いわれた方で、お釈迦様のいとこに

あたる方でもあります

説法中に居眠りをしたことを恥じ

以後眠らないという修行をして

ついには失明してしまう

けれども、そのことによって

真理を見るという眼を開いたので

天眼第一といわれます。

 

そしてまた、

お釈迦さまが涅槃に入られるのを

見届けた人でもあります

お経には

「ここで世尊は初禅(第一段階の

 瞑想)に入られた。

 初禅から起(た)って、

 第二禅に入られた。

  …

 第四禅から起って

 空無辺処定に入られた

 空無辺処定から起って

 識無辺処定に入られた

 識無辺処定から起って

 無所有処定に入られた

と段々に深い定に入っていかれ

 非想非非想定から

 滅想受定に入られた。」

 

と、阿那律尊者は天眼で

お釈迦さまの心の中を見て

阿難尊者に告げています。

 

いよいよ涅槃に入られ

阿難尊者と阿那律尊者は

夜通し説かれた法について

語り合ったと、

経典には出てきます。

 

涅槃図一つとっても

それぞれのドラマがあるようで

そのことを思い浮かべなら

見てみるのも面白いと思います。

 

 

 

 

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おしゃかさまねはんえ

2020-02-15 17:58:04 | 住職の活動日記

 名も知らぬ 遠き島より

  流れよる 椰子の実一つ

  故郷の岸を 離れて

  汝(なれ)はそも 波に幾月

 

という歌がありますが

柳田国男が愛知県の伊良子岬で

明治31年夏、海岸に流れ着いた

椰子の実を見つけた。

このことを親友だった島崎藤村に

話すと、このことをから

自分が故郷を離れて

漂泊の旅に出ていることと重なり

この詩が生まれたという。

 

ふと思うのは

昔の人は海辺に立ってその水に

手をやりこの海の水は遥か遠い

お釈迦さまの国に通じていると

涙を流したということがあります

 

「遺跡を 洗へる水も 入海の

  石と思へば なつかしき哉」

と、

明恵上人という方は

詠んでおられます

釈尊の遺愛の子と名乗って

おられたということもあって

殊の外お釈迦さまのことを慕って

インドへの旅行も計画されていた

ということですが、

実現することはできず

紀州の鷹島の渚の小石を生涯

身から離さず大事にされた

それほど思慕の念が強かった

ということです。

 

同時代の方で

西行法師も、

「ねがはくは 花のしたにて

  春死なむ

 そのきさらぎの 望月のころ」

という歌を詠んでおられ

河内の弘川寺で、

お釈迦さまと同じ日に亡くなられた

ということです。

 

2月15日は「涅槃会」ネハンエ

お釈迦さまが亡くなられた

涅槃に入られた日です。

 

『ブッダ最後の旅』という本

「大パリニッバーナ経」を

中村元先生が翻訳されたものです

お釈迦さまの言葉として

最後の言葉は何だったのだろう

漢訳経典とはまた違った

生身の言葉のようなニュアンスが

あり、

そうだったのかと、思われる

節があります。

 

自分なりには

最後の旅は阿難と二人旅で

故郷に向かっておられた

と思っていたのですが

そうではなく

かなりたくさんのお弟子さんと

旅されていたようです

 

「アーナンダよ、

 今や私も年老いた。

 年を取り、高齢となった。

 壮年期は過ぎ、晩年に達した。

 私ももう齢八十になった。」

と、

この言葉で

お釈迦さまの年が分かります。

 

「アーナンダよ、

 たとえば老朽化した車が

 革ひもで縛りやっと

 動くことができるように、

 如来の身体も、

 革ひもで縛られやっと何とか

 動いているようなものだ」

 

という言葉が出てきます

そして、

 

「さあ、アーナンダよ。

 わたしのために、

 二本並んだサーラ樹の間に

 頭を北に向けて

 床を用意してくれ。

 アーナンダよ。

 私は疲れた。横になりたい」

 

そうやって、

お釈迦さまは「定」に

入っていかれるのですが、

最後の言葉として

 

「もろもろの事象は

 過ぎ去るものである。

 怠ることなく

 修行を完成させなさい」

 

とおっしゃっています。

この言葉には翻訳の違いで

 

「ぼんやりと放心することなしに

 気をつけて、

 一切のなすべきことを実現せよ」

 

という翻訳もあります

しかし、

要点は二つ

一つは無常をさとること

二つ目は修行に精励すること

この二つに尽きると思います。

 

またこう言う言葉もあります

 

「釈迦如来かくれまして

 二千余年

 如来の遺弟悲泣せよ」

 

と、厳しい言葉です

何もお釈迦様の死を悲しめ

というのではなく

お釈迦さまの弟子といいつつ

何もお釈迦さまの教えを

実践していない自分がいる

そのことを悲しめ

というのでしょう。

 

懈怠(けたい)なく修行せよ

怠ることなく修行せよ

間際の間際まで一瞬たりとも

怠ることはできない

「釈尊の涅槃」

その最後の言葉をかみしめる

ということです。

 

 

 

 

 

 

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文房四宝

2020-02-14 20:57:30 | 住職の活動日記

墨・筆・硯・紙の四つを

文房四宝(ぶんぼうしほう)と

いいます

鳳凰大学の文化祭に

出品しなければいけない

ということで、やおら

 

 

墨やら硯を引っ張り出して

やりだしたのですが

ふと思い出して、

この龍の模様がある墨

小学生の頃、祖父の手伝いで

墨を磨ることになり

一生懸命磨るのですが

一向に濃くならない

子どものせいと今の今まで

ずっと思っていたのです

ところが

今磨ってもなかなか濃くならない

聞いてみると

この墨はそういうものらしく

 

 

こちらの墨に代えて磨ってみると

なるほど素早く磨れるものです

 

ということで

書き始めたのですが ?

一向に上達していない

題材としては

短冊には、一休さんの

「有漏路より無漏路へ帰る

  一休(ひとやすみ)

 雨降れば降れ 風吹けば吹け」

という、

一休という名のもとになった句を

選びました

色紙には

一休さんと蓮如上人のうた

「阿弥陀にはまことの慈悲は

  なかりけり

 たのまぬものは助けたまわじ」

という一休さんの

蓮如上人に対してちょっと

とんちをきかせた意地悪な問い

です

それに対して蓮如上人は

「武蔵野の葉ごとに月は宿れども

  露なき草に 月は宿らじ」

という歌を返します

実に見事な二人の絶妙な

受け答えが表れています。

 

と、書いてみて

まあ、これでいいかな?!

と思って、持って行ったのですが

他の方の作品はどれも見事で

美しい!!

なんだか気落ちしてしまい

そっと持って帰ってしまいました。

 

4年間習ったわりには

休んだこともあり

あまり練習もしなかったので

仕方ありません

ただ、かなの美しさだけは

何となく分かるようになり

それだけが収穫です。

 

ということで外に気分転換

 

 

ボケの花も膨らみ始めています

春の陽気に誘われて

 

 

一気に開いてくることでしょう

宇治は茶所

 

 

お茶の花も開いています

ちょっと落ち込んだ自分に

自然の美しい花は

それぞれ自分の花を精一杯

咲かせているようで

自分の心にカツを入れてくれる

ようでした。

 

 

 

 

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麒麟がくる京都大河ドラマ館

2020-02-13 21:11:05 | 住職の活動日記

「麒麟」という字

麒、一字でもキリンと読みます

詳しくは麒は雄で麟は雌

王が仁のある政治を行う時に

必ず現れるという聖なる獣、麒麟

仁王会(にんのうえ)は

そういう意味で王に正しい政(マツリゴト)

を説くために開いた法会です。

 

今NHK大河ドラマは

「麒麟がくる」

亀岡も光秀ゆかりの地

 

 

新しく建設された京都サンガの

ホームグランド

SANGA STADIUM 

by KYODERA

の1階で

麒麟がくる京都大河ドラマ館で

開催されています

 

 

展示は人物紹介や衣装や小道具

撮影時のメイキングや

インタビュー映像

4Kで撮影されたその風景や

撮影時の工夫などが紹介され

テレビで見ることがより深く

理解されるようになっています

 

 

中は撮影禁止ですが

一部撮影可能な所もあり

 

 

面白い内容です

 

せっかくですので

亀岡スタジアムも覗いて

きました

 

 

京都サンガのシンボルカラー

紫がシートの色に使われ

 

 

美しい色どりを見せています

 

屋根の軒には木が使われ

 

 

真下から見上げると

こうですが

横から見るとまるで木製のような

作りに見えます

 

 

しかし、まだ

工事も途中いたるところで

突貫工事のように進んでいます

 

 

とても便利な位置に作られ

JR亀岡駅から徒歩1分位でしょう

 

 

隣のスーパーマーケットの

駐車場には

京都サンガの応援垂れ幕が

掲げられています

 

その近くにある

亀岡城跡も見たかったのですが

今は宗教法人大本教の本部

手続きがいるようで

今回は外からだけ見て

失礼しました。

 

 

 

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御所の森

2020-02-12 21:03:51 | 住職の活動日記

気温も緩み御所まで散歩へ

迎賓館の裏手にその森はあります

 

 

向こうに見える屋根が迎賓館

こんもりしていたのですが

台風でやられしばらくは通行止め

やっと開通したようです

 

 

でも今は倒木の処理の真っ最中

 

 

クレーン車も入り大々的に

後片付けが行われています

 

 

根が浮いてしまった木

包帯を巻いて保護してあります

 

 

カメラマンが集まる所があります

その向こうに鳥の水飲み場があり

やってくる野鳥を

撮影する格好の場所となっています

 

 

こういう鳥は当たり前のようで

撮影の対象ではないようです

 

 

でも水浴びしている姿は

何とも幸せそうです

 

 

 

倒れて幹は伐採された木

 

 

こちらから覗くと面白い風景が

見えてきます

 

 

以前にも紹介した気になっている桜

「桜松」といいます

黒松の上に山桜が生育し

平成8年黒松が枯れて倒れていまい

桜は松の空洞を通り抜けて

地上まで根を下ろし

すっかり根付いたのです

 

 

しっかりと花芽を膨らませています

 

 

 

そばにあった看板に

倒れる前の姿が

 

 

なかなか立派な松で

その10メーターほど上に

桜が宿木をしています

 

 

倒れて2年目の桜の開花です

もう少ししたら桜を見に来たいと

思っています

 

 

桃も膨らみ始めています

その先には梅が見ごろ

 

 

香りを漂わせて正に紅梅(香梅)

といったところです

 

 

白梅も見ごろ

しかしまだつぼみもたくさんあり

 

 

しばらくは楽しめそう

 

 

蝋梅も美しい

本当に蝋細工のような

さわれば壊れそうな花びらです

 

 

でも、満開の梅は今が見ごろ

 

 

桃と梅の林があり

その散歩コースもいいものです

 

 

倒木の整理や伐採

そして、

砂利の隙間に生えた草取り

人数をかけて丁寧に

一つ一つ取っていく

 

 

地べたに這いつくばるように

やはり掃除はこうでなくては

 

 

上を見ると

まあ、何と細い枝に乗って

剪定作業

揺れながらの不安定な仕事です

上手に、

伸びた枝を落としていかれます

 

今日は総がかりのように

いたるところで作業されている

姿にお会いしました。

 

帰りがけに見上げると

 

 

橙が鈴生りに生っていました。

いつ訪れても楽しい出会いが

あるものです。

 

 

 

 

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gifted ギフテッド(天賦の才)

2020-02-11 20:41:58 | 住職の活動日記

私たちの能力ということは

西洋の考えでは

神様からの贈り物つまりギフト

Giftedというようです

東洋的考え方では「天賦の才」

「賦」ということも、

みつぎもの・さずける、という

天から授けられた才能

ということでしょう

 

煩悩ということも

生まれながらに持っている煩悩と

(倶生起の煩悩)クショウキ

それから生きているうちに

次第についていく煩悩

(分別起の煩悩)フンベツキ

とがあるように

能力ということも

生まれながら備わっている

ものもあれば

勉強したりして身に付く

能力もあるようです。

 

お釈迦さまにも十大弟子という

方がおられて

それぞれの違った能力を

身につけた方々ですが

それはさとりということも

一つではなく

百人おれば百通りのさとりがある

ということを表しているのでしょう

 

多様性ということがありますが

これでなければいけない

ということではなく

その人その人に合った

求め方があり、頷き方も

それぞれの個性です

 

 

本蔵院の応接間に掛けられている

額ですが、

安田理深先生の言葉です

「人間はその自然性に於て

 自体的に完成している

 しかし、これを自覚的に

 完全する使命と能力とを

 賦与されているものは

 有限なる人間の生存在である」

という

なかなか難しい言葉ですが

何となく分かるような気もします

 

与えられた能力

誰にでも形は違えども

与えられているのです

つまりギフテッドということは

特別な人だけにあるのではなく

だれしも与えられた能力

それを自覚して限られた生の

中で見出していくのは

私たちの使命でしょう。

 

さとりということも難しくもあり

また、これでなければいけない

ということでもなく

反対に何でもいい

自分勝手にこれでいいんだ

というものでもなく

「ありのままで」

という言葉もありますが

やはり本当の自分に出会う

ということのように思います

 

先日、羽生選手

世界最高得点を出された

それは素晴らしい演技でした

あの美しさにはほれぼれとします

しかし、

後でのインタビューで

これからやるべき事が見えてきた

というような

まだまだ、点を出せるところが

あるのでは

というようなことを

言っておられました。

 

やればやるほどやるべきことが

見えてくる

というのが本当のことでしょう

もうこれ以上

やることはなくなった

ということはやってない

とも言えるようです

仏道は無限の修行といいます

やればやるほど課題が見つかる

というのが本当の修行でしょう

もうこれで修行は成満した

というのはある面からいえば

本当にできてないのかも

しれません。

 

しかしまあ、

科学的にはIQというものもあって

持て生まれたものは

どうすることもできない

ということもあります

それを本当に生かすのは

与えられた有限なる身であり

与えられたものを

使命と受け止めて

それを花開かせるのも

有限なる生存在なのです。

 

十大弟子ということは

比べるな

ということでしょう

人にはそれぞれ違った才能があり

それぞれに花を咲かせる

多様性ということを

表しているようです

IQの高い舎利弗もいらっしゃれば

掃除しかできない

周梨槃特シュリハントクという方も

いらっしゃいます

いずれにしても

修行の歩みを

止めないことだと思います。

 

そこに本当に

ギフテッド、自分の力は

自分だけで出来たものではなく

それは与えられたものなのだ

という自覚が生まれて来るでしょう

(それは神さまから

 ということではなしに)

 

 

 

 

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2月の満月はスノームーン

2020-02-10 21:10:00 | 住職の活動日記

昨夜、窓の外がやけに明るい

今日知ったのですが

2月9日は満月ということです

特に、2月の満月をスノームーン

というようです

 

 

簡単なデジカメながら

まあまあ、月の様子が写りました

ちょうど家の上に出たのです

 

 

こんな感じにしか見えません

半分あきらめかけて

しかし、

ズームをきかせると

 

 

これ位かな!!

と思っていたのですが

試しにもっとズームをすると

最初の一枚が撮れたのです。

 

ちなみに

こういう言い方は

アメリカの先住民の季節に対する

感覚なのでしょう

1月はウルフムーン

で、2月はスノームーン

3月はウーム(芋虫)ムーン

日本でいう啓蟄に当るのでしょう

4月はピンクムーン

5月はフラワームーン

5月は花も咲き始める

4月は、桃や桜が膨らむ?

ということで

ピンクなのでしょうか?

6月はストロベリームーン

7月はバック(男鹿)ムーン

8月はチョウザメ・ムーン

サメといっても川に登ってくる

鮭みたいな、そしてその卵は

キャビアです

このころ取れたのでしょうか

9月はハーベストムーン収穫月

10月はハンタームーン狩猟月

冬に備えて獲物を捕り蓄える

11月はビーバームーン

ビーバーたちが川にダムを作り

巣を作り始める頃でしょうか

12月はコールドムーン・

寒月です。

日本にも季節の変化をとらえて

時候のあいさつや

二十四節気のようにその時々の

季節感を表すものがあります。

 

それぞれに

とらえる対象物が違うのも

おもしろものです。

 

 

 

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いのちの深さ

2020-02-09 21:08:15 | 住職の活動日記

何気なく歩いていると

目にとまった野の花

何だろう?

よく見かけるダンドロボロギクか

 

 

歩道のインターロッキングの

隙間に生えている

まあ、ど根性といわれる

野の花です

 

たぶん、どこからか飛んできて

その種が溝の隙間に入った

そこから根を伸ばし

こうやっていのちを咲かせている

しかし、

踏みつけられるかもしれない

また、

邪魔!といわれて

ちぎられるかもしれない

清掃の方が来て

刈り取っていかれるかも

ある面はかない運命かもしれない

けれども

与えられた場所で咲いている

 

しかし、

考えようによっては

いい場所だったかもしれない

土のところであれば

根こそぎ刈り取られ

それで命が終わるかもしれない

この細い溝であればこそ

そこから静かに

深く根を下ろしているでしょう

たとえ上の茎や葉や花を

刈り取られたとしても

根は残っている

また次の年がくれば

その根の命は生きていて

小さな茎をのばし葉を出し

花を咲かせ種を残し

その種を飛ばして

またどこかに次のいのちを

繋ぐことでしょう。

 

与えられた場所が生きる所

なんだかすごいですね!

どこかいい所があるのではないか

と探し回るものですが

外の世界を変えることなく

自分を変えて

その場所に合ったように

生きていく

そして

花を咲かせ種を飛ばし

子孫を残していく

 

この花の強さに感服します

 

 

名前は調べ中ですが

ちょっと

紫色の葉が変化しているのは

この寒さのせいかもしれません。

 

いろいろ不平が出る私たちですが

なんだか、

こういう野の花にも教えられる

ものですね。

 

 

 

 

 

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