本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

安田先生ご命日「無窓忌」

2020-02-19 20:26:32 | 十地経

2月19日は「無窓忌」むそうき

安田先生の御命日です

お参りに出かけたのですが

生憎門は閉ざされていて

コロナウイルスということも

あって集まりもなかった

のかもしれません

 

家に帰り、

本棚を整理していると

安田先生の講義録を発見

 

 

最初の頃はカセットテープもなく

オープンリールのテープで録音

それを文字に書き写し

ガリ版で切って謄写版で印刷し

皆さんに配っておられました

それが

 

 

タイプ印刷となり

今読んでいる活字の印刷と

なってきました

 

安田先生も自ら本を出版されない

ということで

聞いた方が文字に表し

伝えてきたのです

以前、

教えを聞いた方が集まり

先生の全集を出そうという計画が

持ち上がり

その旨を先生に伝えに行った所

先生から厳しく

そんなものは出す必要がない

と断られたのです

皆が困っている中

三浦先生が、

お釈迦さまの教えは

感動した弟子たちが作った

ということですよね

とお尋ねになると

それはそういうことですよ

と、おっしゃたということです

皆が、

ではどうしたらいいのか

と相談していると

三浦先生が

皆さんは先生の話に

感動しなかったのですか

感動したのであれば作れば

いいのですよ

ということになって

安田先生の全集が作るという

方向で動き出したのです。

 

古い話では、

玄奘三蔵もあれだけたくさんの

経典を翻訳されたのに

ご自身の作は一つもないのです

安田先生もそういうこともあってか

講義はされたけど

一冊の本も書かれなかった

あるのは聞いた人たちが

テープから本にされたのです

 

このことも大変な作業で

いま、『十地経講義』を

書き写していますが

そうやってみて初めて

言葉を文字にすることの

大変さが分かってきます

ずっと聞き続けていて初めて

出来ることなのです

先生の言葉の癖もあるし

間合いもある

同じような発音でも漢字にすると

違った漢字になり

あらためて言葉を文字にすること

の大変さを思い知ります。

 

ガリ刷りのたまたま開いたページ

そのなかにも

「永劫というようなことはね

 その行が終わるのは人類の

 終わる時に終わるんだ

 本願がいつ終わるかといえば

 人類が最後の一人まで

 成仏するまで本願は終わること

 ができない

 そういう精神を表しとるんだ

 人間に問いがある限り

 本願は答えていくと」

 

というようにでてきます

つまり、私たちの行というものは

終わりがないということです

学校の場合、教科書ですから

一応のことを学んだら

卒業ということはあるのですが

私たちの修行となると

終わりがないということです

ある面からいえば

さとりということも

終わりのない修行を修していく

そういうことを知るのでしょう

 

しかし、

安田先生の全集には

『十地経講義』は

含まれていません

これもおもしろいことですが

全集を作られる時

すごいご苦労があって

先生の話ことばを

やはり世間に出すということで

文章体に直されたのです

それはそれで

価値のあることですが

『十地経講義』には

あの、その… という

先生の息づかいが伝わってくる

他にはない貴重な

本ではないかと思います

これには多くの方のご苦労が

あるのですが

ひとえに聞き続けてこらえた

虎頭先生のご尽力の賜物と

思っております。

 

私にとりましては

この『十地経講義』が

何よりの宝物であり

人生を豊かにしてくれた本

でもあります。

 

 

 

 

 

 

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