「影」という言葉
何か知らず気になっている
言葉なのです
影、陰、蔭、翳と
漢字でも四つほどあります。
東寺にいた時、
弘法大師の御住房であった
「御影堂」にいました
御影堂とかいて、「みえどう」と
読みます
これは宗派によっては「ごえどう」
ともいうようです
また、今回のコロナウイルスで
いろいろな所に影響を及ぼして
います。と、
いうように「影響」という言葉も
かげという字が入っています
影響という字も好きな言葉で
「かげ」が「ひびく」と書きます
「形に影あり、声に響きあり」
ということで
一つの変化が他の変化の原因にも
なってくる、というように
その本体というより
その本体の波及効果が及ぶ
ということでしょう
また、
この言葉はお経にも出てきます
「影向」(ようごう)と読み
こういう句として出てきます
「定降臨影向給」
定めて降臨コウリン影向ヨウゴウし
給う、というように
仏さまがこの世に現れる
という意味で使います
仏教辞典には
「菩薩が仏の教化を助けるために
影の如く響きの如く姿を自在に
あらわして衆生を救う」
と出てきます
それで、影響と書いて
(ようごう)と読みます
影響(えいきょう)という言葉も
仏教読みでは(ようごう)と
なんだかおもしろい
また、
「おかげさま」という言葉にも
「かげ」という字が入っています
この場合は「御蔭様」と書きます
「蔭」という字に
「お」という敬語と「さま」と
二つの敬語が前後ろについています
漢字的には「陰」も「蔭」も
ほぼ同じような意味です
この「影」には
普通にかげという意味と
「ほんもの」という意味も
あります
ですから、
「御影堂」という場合
本当の方がいらっしゃる
しかし、本物の顔は見ることは
出来ないけど
影としてその方にふれるところ
なにかしら
そういう出会いがあるように
思うのですが
亡くなった方には出会えない
ではいらっしゃらないかというと
そうではなく
その方を影として感じることが
できる
そういうふれかたが大事なような
気がするのです
ですから「影」の言葉に
ほんもの、という意味があるのは
そいうことなのでしょう
人間と仏とでは位が違う
出会えるはずがないのです
では分からないかといえば
「かげ」として感じる
そういう出会い方が大切なような
気がするのです
そこに人としての奥ゆかしさ
があるように思います
梁塵秘抄に
「仏は常にいませども
現(ウツツ)ならぬぞあわれなる
人の音せぬ暁に ほのかに
夢に見えたもう」
とあるのは
そういうことなのでしょう
ほのかにかすかに感じとる
そこに仏がいらっしゃると
ここにいるぞ!と
決した現れてはこない
そういうことのように思います
「影」という言葉も
ずっと気になっていて
それでいて
まだまだ十分に分かっては
いないのですが
でも気になり引っかかている
言葉でもあります
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