「 惛沈 ・ 掉挙 」 ( こんじん・じょうこ )
聞きなれない言葉です。
これも煩悩の一つです。
煩悩といっても、 百でも足りません !
とおっしゃる方もいらっしゃいますが、
煩悩は六つしかありません。
貪 ( とん ) むさぼり
瞋 ( じん ) いかり
痴 ( ち ) ぐち
慢 ( まん )
疑 ( ぎ )
悪見 ( あくけん )
と … これだけなのですが、
この煩悩に付随して
起こってくる煩悩に
「 煩悩染及び随煩悩使 」 というものがあります。
その中に、
「 惛沈 ・ 掉挙 」 というのがあるのですが
非常にデリケートな煩悩です。
こういう細かい心理を見出したところに
仏教学の深さがあるように思います。
普段では感じない心です。
しかし、静かに本を読むとか、座禅するとか
集中するときに妨げとなる煩悩です。
「 惛沈 」 読んでなんとなく、
気分が沈んでしまって滅入ってしまう心です。
なんか元気が出ない、
なんだか理由はわからないのですが
気が沈んでくる、
というような煩悩です。
それと反対に 「 掉挙 」
これは気分がウキウキする煩悩です。
気持ちが高ぶって、気が外へ散り
これも集中して三昧に入れないのです。
人間は平常心といわれても、
調子が良ければ、ウキウキするし、
ちょっと嫌なことがあると、
気が滅入ってしまって
落ち込んでしまうものです。
このようにどちらかしかないように思います。
昔話に、
お坊さんが座禅しようと静かに座った、
ところが、気分が落ち着いてくると
とんでもないことが、心に浮かんできた。
三年前に隣の婆さんに豆半合貸したのを思い出した。
なんともけち臭いことを思い出した。
普段はばたばたしていて、そんなこと
思い出すわけでもないのに、
静かになると突然、今まで思ってもみなかった
ことを思い出した。
これは私たちにもよくあることです。
お参りしだすと途端に、よけいなことが
心の中に浮き上がってくるのです。
師匠に聞いたら、
自分もそうだとおっしゃっていました。
これは誰にでもあることなのでしょう。
精神生活をしようとすると
妨げとなる煩悩が 「 掉挙 惛沈 」
なのです。
煩悩といっても、普通の人には起こらないのです。
その人が目的を以て何かやろうとしたときに、
妨げとなるものが出てきます。
これが煩悩です。
毎日、何気なく、出たとこ勝負で
生きている人には煩悩は起こりません。
ですから 「 惛沈 ・ 掉挙 」 という
煩悩も何事か集中してやろうとすると
対治しなければならない煩悩なのです。
今気になっていることがちょうど出てきました。