本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

惛沈・掉挙 (こんじん・じょうこ)

2014-02-02 21:41:18 | 住職の活動日記

 「 惛沈 ・ 掉挙 」  ( こんじん・じょうこ )

聞きなれない言葉です。

 これも煩悩の一つです。

煩悩といっても、 百でも足りません !

とおっしゃる方もいらっしゃいますが、

煩悩は六つしかありません。

 貪 ( とん )    むさぼり

 瞋 ( じん )    いかり

 痴 ( ち )     ぐち

 慢 ( まん )

 疑 ( ぎ )

 悪見 ( あくけん )

と … これだけなのですが、

この煩悩に付随して

起こってくる煩悩に

「 煩悩染及び随煩悩使 」 というものがあります。

 

 その中に、

「 惛沈 ・ 掉挙 」 というのがあるのですが

非常にデリケートな煩悩です。

こういう細かい心理を見出したところに

仏教学の深さがあるように思います。

 普段では感じない心です。

しかし、静かに本を読むとか、座禅するとか

集中するときに妨げとなる煩悩です。

 

「 惛沈 」  読んでなんとなく、

気分が沈んでしまって滅入ってしまう心です。

なんか元気が出ない、

なんだか理由はわからないのですが

気が沈んでくる、

というような煩悩です。

それと反対に 「 掉挙 」

これは気分がウキウキする煩悩です。

気持ちが高ぶって、気が外へ散り

これも集中して三昧に入れないのです。

 

 人間は平常心といわれても、

調子が良ければ、ウキウキするし、

ちょっと嫌なことがあると、

気が滅入ってしまって

落ち込んでしまうものです。

このようにどちらかしかないように思います。

 

 昔話に、

お坊さんが座禅しようと静かに座った、

ところが、気分が落ち着いてくると

とんでもないことが、心に浮かんできた。

三年前に隣の婆さんに豆半合貸したのを思い出した。

なんともけち臭いことを思い出した。

普段はばたばたしていて、そんなこと

思い出すわけでもないのに、

静かになると突然、今まで思ってもみなかった

ことを思い出した。

 

 これは私たちにもよくあることです。

お参りしだすと途端に、よけいなことが

心の中に浮き上がってくるのです。

師匠に聞いたら、

自分もそうだとおっしゃっていました。

これは誰にでもあることなのでしょう。

 

 精神生活をしようとすると

妨げとなる煩悩が 「 掉挙 惛沈 」 

なのです。

 煩悩といっても、普通の人には起こらないのです。

その人が目的を以て何かやろうとしたときに、

妨げとなるものが出てきます。

これが煩悩です。

毎日、何気なく、出たとこ勝負で

生きている人には煩悩は起こりません。

 

 ですから 「 惛沈 ・ 掉挙 」 という

煩悩も何事か集中してやろうとすると

対治しなければならない煩悩なのです。

 

 今気になっていることがちょうど出てきました。

 

 

 

 

 

 

コメント
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