2月15日は、お釈迦さまが涅槃に入られた日です。
「 涅槃 」 インドのことばの ( ニルバーナ )
もともとの意味は 「 吹き消す 」 ということ。
すべての煩悩が吹き消され、自分の人生を
完全に燃焼しつくした、ということでしょう。
いま、床の間にお祀りしている
苦悩の末、静かに思惟しておられる
お姿です。
肉は削げ落ち、あばらも剥き出し、
しかしそのお顔はとても安らかです。
お釈迦さまの最後の旅はクシナガラへ、
向かっておられました。
ご一緒に随行していたのは 「 阿難 」 ただ一人です。
お釈迦さまは80歳の老体です。
インドは暑いのでいつも沐浴されます。
ところがこの時ばかりは、
岸から這い上がれない、やっとの思いで
岸から上がり、たいていの場合は
結跏趺坐して瞑想に入られる、
健康な時はそれもできるのですが、
老衰に加えて体も壊しておられる。
それで、そこに横たわられる。
そこが沙羅双樹の木の下です。
その姿を看取ったのが 「 阿難 」 です。
その阿難の気持ち、
阿難の心髄にまで達した印象、
どうすることもできない、
それをじっと観ておった阿難の深い悲しみ
そして、その感動、
それが仏像を生み出していったのです。
「 涅槃図 」 はお釈迦さまの像の中でも
一番大きい、
それは阿難の感動の深さがああいう大きな
お姿をつくらせたのです。
はたから見れば、ただの痩せこけた老人が
横たわり、今にも死にそうであるという姿です。
しかし阿難にとっては痩せこけた老人には見えなかった。
それは今まで法を説かれ続けた、
それはそれは大きなお姿に見えたのです。
それは、安田理深先生の講義を聴いていて、
お茶を出すのが私に役目だったのですが、
講義の前のお姿は本当に普通のお年寄り
という感じでした。
ところが一端、講義をはじめらると
その姿は輝き、とても溌剌として
大きなお姿に見えたものです。
この写真の 「 お釈迦様 」 とても小さな
仏像です。
そして光り輝くようなお姿でもありません。
痩せてみすぼらしく、何も知らない人が見たら
捨てられてしまいそうです。
祖父が私にこのお姿を忘れるな !
と、託してくれたお釈迦さまなのです。
いつも、じっと見られているようです。