さすが天才といわれている方は言うことが違う。
「 予測できることは結果が見えてしまって面白くない。」
と話されています。
「 わけがわからない事にこそ、鉱脈がある 。」
ともいわれています。
先日の NHK 「 プロフェッショナル 」 で、
『 カラダを操る体内時計 』 ということを研究しておられる
若き天才科学者 『 上田泰己 』 先生です。
普通は 「 わかる話 」 とかを聞きたがります。
「 わからん話 」 はもういいということです。
この先生、子どもの頃に 『 自分とは一体なんだろう ? 』
『 いのちとは何だろう ? 』 ということに興味をもたれたそうです。
この疑問がこの先生の一生の課題となり、人生を貫いている大問題になったのです。
( 幼いときに何に興味を持つかということはとても大事なことです。)
今連続して読んでいる経典もわからないのです。
しかし、こころのどこかで、頷くことがあるのです。
丁寧に解説した本というのはあまり心に響いてこないものです。
少しご紹介します。
「 自由ということはどういうことか。
独立者というなら、何から独立するのか。
それがわからない。
何が独立させないようにしているのか調べてみたことはないであろう。
男女平等といっても抽象概念になる。
男も人間だし、女も人間だし、男も女もなくしたのが平等か。
そうでもないだろう。
女なら女の特質があるだろう。
男にはできない女の特質がある。
男には男の特質がある。
… …
だから、自由や平等といっても内容はわからない。
ただ漠然と使っている言葉である。
わからないけども使っているのを不了義経という。
そういう点を明瞭にしてくるのが了義経である。
『 解深密教 』 ( げじんみっきょう ) という経典があるが、
密教というのどうもはっきりしない。
はっきりしないけれども簡単に片付けるわけにはいかない。
わからない問題をはっきりさせる。
これが 『 解深密教 』 の精神である。
とつづくのですが、
仏教の問題もわからない問題を説いていくということもありますが
答えを出すというのではなく、
わからないということをはっきりさせていく、
わからない問題を見つけていく、ということが大事だと思います。
ある数学の先生が
『 三角形の内角の和は180度である 』
という問題にぶつかって、そのことをずっと考え続けたそうです。
そのあたり前のような事実なのですが、
その問題にぶつかった時に、わからないということに感動した、
ということを聞いたことがあります。
答えが明らかになるというより、
自分の考えている問題が ( わからない ) ということが
明らかになってくる。
そのことを捨ててしまわずに、いかに持ち続けていくかということが大事ではないかと思います。
「 予測できることは結果が見えてしまって面白くない。」
と話されています。
「 わけがわからない事にこそ、鉱脈がある 。」
ともいわれています。
先日の NHK 「 プロフェッショナル 」 で、
『 カラダを操る体内時計 』 ということを研究しておられる
若き天才科学者 『 上田泰己 』 先生です。
普通は 「 わかる話 」 とかを聞きたがります。
「 わからん話 」 はもういいということです。
この先生、子どもの頃に 『 自分とは一体なんだろう ? 』
『 いのちとは何だろう ? 』 ということに興味をもたれたそうです。
この疑問がこの先生の一生の課題となり、人生を貫いている大問題になったのです。
( 幼いときに何に興味を持つかということはとても大事なことです。)
今連続して読んでいる経典もわからないのです。
しかし、こころのどこかで、頷くことがあるのです。
丁寧に解説した本というのはあまり心に響いてこないものです。
少しご紹介します。
「 自由ということはどういうことか。
独立者というなら、何から独立するのか。
それがわからない。
何が独立させないようにしているのか調べてみたことはないであろう。
男女平等といっても抽象概念になる。
男も人間だし、女も人間だし、男も女もなくしたのが平等か。
そうでもないだろう。
女なら女の特質があるだろう。
男にはできない女の特質がある。
男には男の特質がある。
… …
だから、自由や平等といっても内容はわからない。
ただ漠然と使っている言葉である。
わからないけども使っているのを不了義経という。
そういう点を明瞭にしてくるのが了義経である。
『 解深密教 』 ( げじんみっきょう ) という経典があるが、
密教というのどうもはっきりしない。
はっきりしないけれども簡単に片付けるわけにはいかない。
わからない問題をはっきりさせる。
これが 『 解深密教 』 の精神である。
とつづくのですが、
仏教の問題もわからない問題を説いていくということもありますが
答えを出すというのではなく、
わからないということをはっきりさせていく、
わからない問題を見つけていく、ということが大事だと思います。
ある数学の先生が
『 三角形の内角の和は180度である 』
という問題にぶつかって、そのことをずっと考え続けたそうです。
そのあたり前のような事実なのですが、
その問題にぶつかった時に、わからないということに感動した、
ということを聞いたことがあります。
答えが明らかになるというより、
自分の考えている問題が ( わからない ) ということが
明らかになってくる。
そのことを捨ててしまわずに、いかに持ち続けていくかということが大事ではないかと思います。