本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

『 憎いやつ ! 』

2010-02-05 22:48:18 | 住職の活動日記
 『 唯識で読む 般若心経 』 

少しずつ読み進めていくうちに、   


「 憎い気持ちがなければ、決して憎い人は眼の前に現れてこない。」

    という一文に出会いました。


『 憎い人 』 という 「 人 」 はいないのです。

勝手に自分が思い込んで、憎いと思う心が 「 憎い人 」 を作り上げているのです。


 そういえば、

最近、記録写真ということもあり、いろいろな行事を撮影していただいています。

当然の如く、ちょくちょく 「 私め ! 」 が登場するのですが、

どうも、自分とは違ってるように思うのです。  

しかし、本当は写真のとおりなのでしょう。


  例えば、

自分の声を聞いた時、最初はびっくりします。

 「 こんな変な声は絶対に違う ! 」  と思います。

そして、とても恥ずかしくもなってきます。

他の人に尋ねると、 「 おなじ声ですよ。」 といわれます。

「 エエッ ? 」

けどそれが事実なのでしょう。



 そのことから、自分のことを冷静に見直してみると、

 『 自分が  自分が 』  と思っているのですが、

その自分が思っている 『 自分 』 と

人が見ている 『 自分 』 とはまったく別物ではないか ???


 自分は自分で勝手に 「 自分という虚像 」 を作り上げ、

その中で、自分でこれが絶対だという価値判断で動いているようです。


しかし、客観的に見ている周りの人の見方が正しいのでしょうが、

どうもそうは思えません。


 ずっと、

「 人は自分を誤解して見ている。 」

と、思っていました。  ( 今もそうなのでしょうが ? )

 ? 写真の自分の姿を見て 、 光の具合か  カメラのせいか ?
 
   撮り方が悪いのでは ??? 

   なんてことまで、考えてしまうのです。  


『 唯識 』 では、

 「 自分が存在しているのではなく、自分というはたらきがある。」

という風に教えているのでしょう。

ということは、

 『 自分が! 自分が!  』 という

 『 固執すべき自分はない 』 ということを説いているのでしょう。


このことも、一度考え直して見ると

『 自分とは ? 』  ゾッとするような自分がいるかもしれません?? ネ

コメント
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