引っ張りだこの一日となりました。
朝から9時、10時、11時と1時間おきのお参りで、
市内を縦横無尽に駆け回りました。帰り着いたのが6時を回っていました。
これから、明日の準備の仕上げです。
( あらかたは留守部隊が完了していてくれました。)
「 真の仏弟子 」 という
私にとって一番厳しい言葉に出会いました。
この言葉は出会ったときからずっと自分の心の重石のように横たわっています。
振り返ってみると、
頭は丸め、衣は着ているのですが、
本当のところは偽者でしょう。
仮の仏弟子です。
静かに座れば、妄想ばかりが出てくる。
お経を読めば間違える。
かといって真剣に勉強するわけでもない。
そういう自分が ( 単に卑下しているわけでもないのです )
ゆくりになくも、京都で師匠の三浦先生と出会い、
そしてその 「 僧伽 」 ( サンガ ) に加えられた
そのことに大きな意味があるのです。
※ 『 僧 』 ということは単にお坊さんという個をさすのではないのです。
「 サンガ 」 という共同体ということなのです。
なにも立派だからとか、価値があるからということで加えられたのではない。
値せずしてその僧伽に加えられたのです。
このことは、普通の社会にも通用することだと思います。
なにも、最初からその会社に見合う人などいないのです。
しかし、会社の一員になった。
その個人は新人かもしれませんが、一旦会社の外に出ると、
新人といえども、その会社を背負っている、
その会社の代表としての一員なのです。
いま、 「 トヨタ 」 は一番苦しい時です。
これはなにも社長だけが苦しんでいるのではないのです。
社員一人一人が会社を背負って苦しんでいるのです。
その苦しみの一つでも、背負った時にその社員は 「 真のトヨタ 」 になると思います。
その人が 「 トヨタ 」 を代表するのです。
「 私がトヨタだと ! 」
仏教的表現をとれば、
仏弟子の資格があって仏弟子にされているのではないのです。
まったく資格がない無いのだと。
にもかかわらず仏弟子とされる。
だから、仏に帰命し、法に帰命すると同じように僧伽に帰命するのです。
帰命するような僧伽に値せずして加えられた、
それが勿体ないという意味です。
それだからこそ、そこに出てくるのは全身を賭して恩にこたえよ。
仏教では 『 報恩 』 ということをいいます。
仏道修行ということは全身を賭して恩に答えてゆくということなのです。
『 報恩 』 というと、どうも古臭い言葉に聞こえますが、
「 ロイヤリティ 」 というか、会社への 「 忠誠心 」
そういうことが、この危機を乗り切っていくキーワードのように感じます。
朝から9時、10時、11時と1時間おきのお参りで、
市内を縦横無尽に駆け回りました。帰り着いたのが6時を回っていました。
これから、明日の準備の仕上げです。
( あらかたは留守部隊が完了していてくれました。)
「 真の仏弟子 」 という
私にとって一番厳しい言葉に出会いました。
この言葉は出会ったときからずっと自分の心の重石のように横たわっています。
振り返ってみると、
頭は丸め、衣は着ているのですが、
本当のところは偽者でしょう。
仮の仏弟子です。
静かに座れば、妄想ばかりが出てくる。
お経を読めば間違える。
かといって真剣に勉強するわけでもない。
そういう自分が ( 単に卑下しているわけでもないのです )
ゆくりになくも、京都で師匠の三浦先生と出会い、
そしてその 「 僧伽 」 ( サンガ ) に加えられた
そのことに大きな意味があるのです。
※ 『 僧 』 ということは単にお坊さんという個をさすのではないのです。
「 サンガ 」 という共同体ということなのです。
なにも立派だからとか、価値があるからということで加えられたのではない。
値せずしてその僧伽に加えられたのです。
このことは、普通の社会にも通用することだと思います。
なにも、最初からその会社に見合う人などいないのです。
しかし、会社の一員になった。
その個人は新人かもしれませんが、一旦会社の外に出ると、
新人といえども、その会社を背負っている、
その会社の代表としての一員なのです。
いま、 「 トヨタ 」 は一番苦しい時です。
これはなにも社長だけが苦しんでいるのではないのです。
社員一人一人が会社を背負って苦しんでいるのです。
その苦しみの一つでも、背負った時にその社員は 「 真のトヨタ 」 になると思います。
その人が 「 トヨタ 」 を代表するのです。
「 私がトヨタだと ! 」
仏教的表現をとれば、
仏弟子の資格があって仏弟子にされているのではないのです。
まったく資格がない無いのだと。
にもかかわらず仏弟子とされる。
だから、仏に帰命し、法に帰命すると同じように僧伽に帰命するのです。
帰命するような僧伽に値せずして加えられた、
それが勿体ないという意味です。
それだからこそ、そこに出てくるのは全身を賭して恩にこたえよ。
仏教では 『 報恩 』 ということをいいます。
仏道修行ということは全身を賭して恩に答えてゆくということなのです。
『 報恩 』 というと、どうも古臭い言葉に聞こえますが、
「 ロイヤリティ 」 というか、会社への 「 忠誠心 」
そういうことが、この危機を乗り切っていくキーワードのように感じます。