本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

2016-07-26 17:33:10 | 漢字

「如」 お経の中にもよく出てきます。

仏教の中でも特に大切な言葉、

しかし、

どういうわけか?

大切な言葉には「オンナヘン」が

ついています。

「如」とか「妙」とか、

また、女の上に亡くなるがつくと

「妄」となって、いつわりとかうそ

という意味になります。

 

女に口と書いて「如」

女が少ないと書いて「妙」

女が亡くなって「妄」

なんだかミョウな気もしますが?

 

「如」はお経の中では

「如如真如の法雨は…」

「真如法性」とか

「如実知自身」というように

また、

仏さまのことを如来ともいいます。

そして、如去とも、

孫悟空が持っている棒は

「如意棒」と、

お地蔵さまとか手の上に

乗せている玉は「如意宝珠」と

 

辞書には「如」とは、

ごとく。おなじ。らしく。

などの意味が出てきます。

 

先日のテレビで、

柔道の松本薫選手、

なかなかいいものをもっておられる。

試合が始まる前には男モードに

動作、茶碗の持ち方ひとつとっても

男のようなしぐさに、

そんな中での一言、

「私の持っている本物の柔道、

偽物はどこまでいっても偽物」

偽物の練習をどこまでしても

本物にはなれない。

なかなかいい言葉です。

よく説明はできませんが、

この「本物の柔道」ということが

「如」ということを

いい表しているようです。

 

修行も到達点からの出発といいます

一面には

段々に修行してということも

いえるのですが、

その修行する心においては

すでに仏の心を自分自身に

頂いているのです。

その仏の心でなければ

どんなに修行しても

それは偽物の修行を

積み重ねるだけで

本物にはなれないのです。

 

女に少ないと書いて「妙」

もともとの意味はくわしいとか、

美しいということがあるようです。

かすか。たえなる。言い表せない。

という意味になるようです。

 

仏教では「妙法」とか「微妙」とか

お経では「妙法蓮華経」と

かすかでたえなる教え

ということでしょう。

昔の人は面白いことを言ったもので、

「法華経は寝乱れ髪にさもにたり、

結うに(言う)に結われず(言われず)

梳く(説く)に梳かれず(説かれず)」

と、かけていっています。

仏さまの悟りの境地は

「離言の法性」ともいわれるように、

筆舌に尽くしがたい、

言葉をもってしても表現できない

ということをいうのでしょう。

 

あの、「アナ雪」のうたのように

「Let it go」ということも

(私にはレリゴーと聞こえるのですが?)

「ありにまま」と訳されますが

一面には、

「本当の自分」ということで、

「如」ということにあたるのでは

と思うのですが?

 

よく師匠から、

「そのままでいいのですよ!」

といわれ、

「ああ、このままでいいのですね」

といったら、

「そうじゃない。

このままではない、

そのままでいいのです」

といわれ、

なんだかとんち問答のように

思えるのですが、

 

このまま、そのまま、にしても

本当に微妙(ビミョウ)な

ニュアンスです。

やっていることは同じでも

本当に言うに言われない

ものがあるようです。

 

 

 

 

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