平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、
「 文覚 」 ( もんがく ) 「 西行 」 ( さいぎょう ) という
二人の法師がおりました。
文覚上人は一世の荒法師として知られた人ですが、
俗名を遠藤盛遠といい北面の武士でした。
18歳のとき、渡辺佐衛門尉の妻袈裟御前に恋慕し、
夫の身代わりとなった彼女を誤って殺してしまいました。
そのことから発心出家して、熊野・高野山・羽黒と苦行を重ねたと伝えられています。
その後、東寺を始め高雄の神護寺などを再興された肩でもあります。
その反面、天性不敵の悪聖 ( あしひじり ) といわれるほど
性格の烈しい方だったともいわれています。
一方、西行法師は遍歴の歌人として知られ、俗名を佐藤義清 ( さとうのりきよ )
といい、彼もまた北面の武士でした。
ところが法師23歳の時、親友藤原憲康の頓死に遭い、
これまた、人生の無常を感じて出家したと伝えられています。
この時、後鳥羽上皇から、思い直せとの言葉がありましたが、
「 惜しむとて 惜しまれぬべき此世かわ
身を捨ててこそ 身をも助けめ 」
と詠み諸国行脚に旅立ったのです。
ところが荒法師文覚にとっては、
「 寂しさに宿をたちいでて眺むれば いずこもおなじ 秋の夕暮れ 」
などと、女々しいような歌を詠んでは流れ歩く、
まだ見ぬ西行を弱弱しい文学青年とでも思ったのでしょう。
古い書物には、
「 にくき法師なり、いづくにても見あいたらば、かしら打ち割るべきよし
つねのあらましにて有りけり 」
と、文覚の意中を語っております。
そういう訳で文覚の弟子たちは、あの有名な歌人西行に、もしものことが
あっては困ったことになるとひどく心配しておりました。
そのおりもおり、高雄の神護寺の住職である文覚のところへ、
西行が一夜の宿を乞うたのです。
ところがどうしたことでしょう、
西行は厚いもてなしを受けた末、無事文覚のもとを去ったのです。
不審に思って弟子たちがそのわけを師匠に尋ねたところ、
「 西行は文覚に打たれるような人物ではない。
文覚を打ちのめす人物だ。」
と、語ったと伝えられています。
恐らく、一夜の物語に、西行が仏道修行の上でも並々ならないことを
文覚が見て取ったのでしょう。
単なる、遊びとしてではなく、歌を通して人生に真向から対決していった、
西行の心に打たれたのであります。
今週の言葉に 「 出逢い 」 という
相田みつをさんの詩を紹介しましたが、
この出逢いということも、それぞれが真剣に生きているところには
「 肝胆相照らす 」 という響きあう心があるはずです。
弘法大師が中国に渡られたとき、
師匠の 「 恵果 」 ( けいか ) から、
「 待つこと久し ! 」
あなたが来ることを知っていた、なぜ早く来なかったのか 、
と、述べられて、すぐさま準備を整え
異国の僧である 「 空海 」 に密教のすべてを伝えられたのです。
並み居る弟子の中から、異国の僧である空海にその教えを伝授されたということは
そこには、響きあうという心があったからに他なりません。
求めていた空海の心と、その素質を見抜いた 「 恵果和尚 」 との
肝胆相照らす心が一つになったのです。
物事が起こるということは、こういうことが必ず働くものと思います。
「 出逢い 」 ということもただ偶然に起こるものではなく、
自分を深く求めていくというところに生まれるものだと思います。
「 文覚 」 ( もんがく ) 「 西行 」 ( さいぎょう ) という
二人の法師がおりました。
文覚上人は一世の荒法師として知られた人ですが、
俗名を遠藤盛遠といい北面の武士でした。
18歳のとき、渡辺佐衛門尉の妻袈裟御前に恋慕し、
夫の身代わりとなった彼女を誤って殺してしまいました。
そのことから発心出家して、熊野・高野山・羽黒と苦行を重ねたと伝えられています。
その後、東寺を始め高雄の神護寺などを再興された肩でもあります。
その反面、天性不敵の悪聖 ( あしひじり ) といわれるほど
性格の烈しい方だったともいわれています。
一方、西行法師は遍歴の歌人として知られ、俗名を佐藤義清 ( さとうのりきよ )
といい、彼もまた北面の武士でした。
ところが法師23歳の時、親友藤原憲康の頓死に遭い、
これまた、人生の無常を感じて出家したと伝えられています。
この時、後鳥羽上皇から、思い直せとの言葉がありましたが、
「 惜しむとて 惜しまれぬべき此世かわ
身を捨ててこそ 身をも助けめ 」
と詠み諸国行脚に旅立ったのです。
ところが荒法師文覚にとっては、
「 寂しさに宿をたちいでて眺むれば いずこもおなじ 秋の夕暮れ 」
などと、女々しいような歌を詠んでは流れ歩く、
まだ見ぬ西行を弱弱しい文学青年とでも思ったのでしょう。
古い書物には、
「 にくき法師なり、いづくにても見あいたらば、かしら打ち割るべきよし
つねのあらましにて有りけり 」
と、文覚の意中を語っております。
そういう訳で文覚の弟子たちは、あの有名な歌人西行に、もしものことが
あっては困ったことになるとひどく心配しておりました。
そのおりもおり、高雄の神護寺の住職である文覚のところへ、
西行が一夜の宿を乞うたのです。
ところがどうしたことでしょう、
西行は厚いもてなしを受けた末、無事文覚のもとを去ったのです。
不審に思って弟子たちがそのわけを師匠に尋ねたところ、
「 西行は文覚に打たれるような人物ではない。
文覚を打ちのめす人物だ。」
と、語ったと伝えられています。
恐らく、一夜の物語に、西行が仏道修行の上でも並々ならないことを
文覚が見て取ったのでしょう。
単なる、遊びとしてではなく、歌を通して人生に真向から対決していった、
西行の心に打たれたのであります。
今週の言葉に 「 出逢い 」 という
相田みつをさんの詩を紹介しましたが、
この出逢いということも、それぞれが真剣に生きているところには
「 肝胆相照らす 」 という響きあう心があるはずです。
弘法大師が中国に渡られたとき、
師匠の 「 恵果 」 ( けいか ) から、
「 待つこと久し ! 」
あなたが来ることを知っていた、なぜ早く来なかったのか 、
と、述べられて、すぐさま準備を整え
異国の僧である 「 空海 」 に密教のすべてを伝えられたのです。
並み居る弟子の中から、異国の僧である空海にその教えを伝授されたということは
そこには、響きあうという心があったからに他なりません。
求めていた空海の心と、その素質を見抜いた 「 恵果和尚 」 との
肝胆相照らす心が一つになったのです。
物事が起こるということは、こういうことが必ず働くものと思います。
「 出逢い 」 ということもただ偶然に起こるものではなく、
自分を深く求めていくというところに生まれるものだと思います。
いつもブログをタダ読みさせていただいているようで申し訳なく思っております。
pcが下手なので、実は文章も難しく、気付きをいただくだけで終わっています。
文章だけでなく写真も深いですね。とてもわかりやすいです
これからも読まさせていただき勉強させていただきたいと思います。今日はどんな話題かな と楽しみにしています
いつもご覧いただき、ありがたくも、
また、感謝です。
ええころ加減なところもありますので、
どうぞよしなに、お汲み取りください。
今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。