今日はこの言葉に感動して、日記を書いて、『 投稿 』 のボタンを押す、
たまに出てくる、ログインのパスワード確認、やはり、一瞬にして消えてしまった。
まあ、それもいいか、もう一回別の角度から見てみよう。それも、新たな感動かもしれな
い、といいつつ…
これも不思議な縁で、私の本箱の眠っていた本が日の目を見ることになったのです。
たぶん、この方の問いがなければ、永遠に眠り続けていたかもしれません。
京都に行った折、 「 これについて、どんな本を読んだらいいでしょうか? 」
「 いろいろあるけど、やはり、 『 〇〇聴記 』 が原点でしょう。」
「 しかし、今は、ないかもしれません。」
ひょっとしたら、持ってるかも?
帰って、本箱を覗くと 『 あった !! 』
このまま、お貸しするのも、なにかしら無念!!
一応、開いてみないと、
最初の前文で、このタイトルの言葉が飛び込んできた。 少し読んでください。
悟りが教えになった
お釈迦さまは悟りを開くことに心血をそそがれたことは勿論でありますが、
その悟りが教えになるには、それをさらに倍加するほどのご苦労をなされたのでしょ
う。悟りがすぐ教えにはならない。
悟りをもうひとつ深くほり下げて、教えを感得されたのでしょう。
『 悟りが教えになる 』
普通は悟りだけを問題にするのです。これは 「 個 」 の悟りということが教えに
なるという 「 公性 」 ( おおやけせい ) 、こんな言葉があるかどうか知りま
せんけど、個という悟りが、教えになることによって公開された公のものになった、とい
うことでしょう。
私達の問題も、ひらめきとか直感というものが、いかに個人のものから公という具体化
になることではないかと思いますが。
みな、具体化で悩むのです。どんなに素晴らしい考えでも、それが具体化できなければ
「 個 」 という中に埋もれたままになってしまいます。
だから、悟りが教えになる、すごいことをいわれる、驚きです。
不思議です。この方の縁で、本蔵院の眠っていた宝物が発掘されていくようです。
教えは、説く方にあるのではなく、聴く方にあるのです。
たまに出てくる、ログインのパスワード確認、やはり、一瞬にして消えてしまった。
まあ、それもいいか、もう一回別の角度から見てみよう。それも、新たな感動かもしれな
い、といいつつ…
これも不思議な縁で、私の本箱の眠っていた本が日の目を見ることになったのです。
たぶん、この方の問いがなければ、永遠に眠り続けていたかもしれません。
京都に行った折、 「 これについて、どんな本を読んだらいいでしょうか? 」
「 いろいろあるけど、やはり、 『 〇〇聴記 』 が原点でしょう。」
「 しかし、今は、ないかもしれません。」
ひょっとしたら、持ってるかも?
帰って、本箱を覗くと 『 あった !! 』
このまま、お貸しするのも、なにかしら無念!!
一応、開いてみないと、
最初の前文で、このタイトルの言葉が飛び込んできた。 少し読んでください。
悟りが教えになった
お釈迦さまは悟りを開くことに心血をそそがれたことは勿論でありますが、
その悟りが教えになるには、それをさらに倍加するほどのご苦労をなされたのでしょ
う。悟りがすぐ教えにはならない。
悟りをもうひとつ深くほり下げて、教えを感得されたのでしょう。
『 悟りが教えになる 』
普通は悟りだけを問題にするのです。これは 「 個 」 の悟りということが教えに
なるという 「 公性 」 ( おおやけせい ) 、こんな言葉があるかどうか知りま
せんけど、個という悟りが、教えになることによって公開された公のものになった、とい
うことでしょう。
私達の問題も、ひらめきとか直感というものが、いかに個人のものから公という具体化
になることではないかと思いますが。
みな、具体化で悩むのです。どんなに素晴らしい考えでも、それが具体化できなければ
「 個 」 という中に埋もれたままになってしまいます。
だから、悟りが教えになる、すごいことをいわれる、驚きです。
不思議です。この方の縁で、本蔵院の眠っていた宝物が発掘されていくようです。
教えは、説く方にあるのではなく、聴く方にあるのです。
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