お経には必ず主題がある、
ということを聞いていたのですが、
ふと、
いつも読む般若心経の主題は?
何かと考えてみました。
お経はほとんどといっていいほど
結論がまず出てきます。
そして、
その内容を順々と説いていく
という構成です。
般若心経も
観自在菩薩が般若波羅蜜多を
深く行じる時、
五蘊は皆空であると照見して
一切の苦厄を度したまう
という最初のくだりが結論です。
そして、舎利子よ、舎利子よ、と
二回も同じ名前が出てきます
智慧第一といわれた舎利子
舎利弗(しゃりほつ)という名前
でも出てきます。
お釈迦様もこの舎利子に
後のこと、教団としての指導者と
期待をかけられていました。
だから、
お釈迦様は舎利子に向かって
教えを説かれたのです。
ところが、舎利子はお釈迦様より
先に亡くなってしまうとい悲劇が
おきてしまいます。
色不異空、空不異色
そして、有名な文句
色即是空、空即是色
が出てきます。
それから空について
空の相は不生不滅、
不垢不浄、不増不減
という説明があり、
だから、
空の中においては
色も無く、受想行識という
意識作用もないのだと
というように続いていきます。
だから、
般若心経の主題は『空』と
いうことでしょう。
般若教学の中心課題は
『空』ということです。
しかし、仏教では
『空』と否定的な表現をとる
教学だけではなく、
『有』という教学もあります。
説一切有部という教えもあります
また、
『唯識三十頌』という経典は
反対に『有』という立場から
人間の心を分析していきます。
空という立場は
一切皆空とか空空大空とか
否定的な表現は一応はいいのですが
人間の有耶無耶言っている煩悩を
一刀両断に断ち切る
という面では勝れているようですが
やや、心の分析ということになると
粗いような気もします。
お釈迦様が最初に説かれた十二因縁
からすると、
すべてのものは因縁によって
成り立っているので、
これといいって固執するものは
何一つないんだ、
ということで『空』ということを
言うのです。
だから、
空を観ずるということは
真実なる価値の発見ということ
(私たちは見たもの聞いたもの
すべてに固執して決めつけて
生きているのです)
本当の空の立場に立てば
真実の姿が見えてくる
ということで、
経典では「真空妙有」という
言葉で出てきます。
ある先生の話ですが
最初に結論が出ないような話は
つまらん!!
いつ出るかいつ出るか
待っていても
最後まで出ないでしょう!
といっておられました。
そういう目で経典というものを
見ていくと、
また違った見方もできて
興味も出てくるかもしれません。
お経の文字に見慣れる、
ということも慣れ親しむ
ということで、
読んだり書いたりすることも
とても重要なことではないかと
思います。
そうしていると主題は
ということが見えてくるのでは
ないでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます