本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

めざせ! 三流 !!

2014-08-04 16:43:47 | 住職の活動日記

 素質もない我々凡人にとっては

一流になるのは無理かもしれません。

けど、

我々凡人には三流を目指す、という

道があります。

 

三流、

 血 (熱意)

 汗 (努力)

 涙 (感動)

の、三つです。

 

これは、心していけば

何とかできそうです。

すべてのことに 血と汗と涙でもって、

熱意を持って努力し、そして感動していく。

さすれば、必ずや物事は

動きます。

それがなければ、

何事もできないと思います。

 

この 「流」 という字は

仏教のなかでもよく出てくる言葉です。

私の好きな言葉にも 「流」 があります。

 

預流 (よる) という、

流にあずかる、

仏の流れにあずかる

 

(私なりの解釈かもしれませんが)

一生懸命努力して、

報われず、挫折して、

しかし、

また思い直して努力する、

そして、

やっと仏さまの流れにあずかった。

そういう自覚のような気がします。

努力を止めるのではなく、

努力が努力ということにならない

それこそ「自然」(じねん)に

努力が身につく、

そういうところに 「預流」 という

ことがあると思います。

 

また、唯識という経典には

「恒転如暴流」 (ごうてんにょぼる)

恒に転ずること暴流おごとし、

という言葉でてきます。

 

    

 

(私に部屋にはこの言葉を掲げています)

安田理深先生の書になるものです。

 

人間の迷いは生半可ではなく

滝のような勢いで流れていく、

それほど激しい人間の煩悩の

勢いを表しているのでしょう。

 

『流石』 これを「さすが」と読むのは

なんとも不思議で ?? …

 

本来は、

「漱石枕流」 (そうせきちんりゅう)の言葉から、

石で口をすすぎ、流れを枕にして寝る、

ということで、

「負け惜しみの強いこと」

という意味になります。

 

これには物語があって、

晋の孫楚(ソンソ)が

「石に枕し、流れに口そそぐ」

というところを誤って、

「石に口そそぎ、流れに枕す」と言ってしまった。

しかし、ついに間違いと認めず、

こじつけてしまった。

 

石で口を洗えばよく磨ける

流に枕すれば耳の掃除になる、と

こじつけてしまった。

そのこじつけが見事だったので

そこから、「流石」 を

「さすが」と読んだのです。

夏目漱石の名前も、

この故事に由来しているようです。

 

流れるという字も

いろいろな面を持っていて

おもしろいし、また

仏の流れにあずかる、

仏にはなれなくても

その… 三流でもいい

流に預かりたいものです。

 

 

 

 

 


 

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