毎月10日の 『 しらぬい荘 』 のお参り、いつもの通り道、以前はこの付
近はたくさんの蓮畑がありました。最近は蓮の田圃も見かけなくなり、荒地になっ
たり駐車場や家が建っています。
今日間違って、道を間違えたら、小さな蓮の田圃に出会いました。
蓮だけは、枯れても趣があります。枯れてしまっても、死んでしまったのではな
く、次の命を感じるのです。
『 ドロ沼の どろに染まらぬ ハスの花 』
という歌がありますが、生きている世界はドロ沼の世界ですが、そのドロ沼でな
ければ、あの綺麗なハスの花は咲かない、綺麗なところへ逃げても花は咲かないの
でしょう。この苦しい現実にこそ悟りの世界はあるのだということを象徴している
のです。
そして、ハスの実は1000年でも眠り続けるのです。
熊本の国府高校で縄文時代のハスが開花しました。
ハスの実はすべての人の心に宿っている仏さまの心を表しているようです。
今は眠っているかもしれませんが、その時が来れば必ず芽を出し、花開く
その時というのが 『 傷 』 なのです。
傷つけられた種が目を覚まし、芽を膨らましていく、
仏の芽も、 『 クッソ~ 』 と思うようなことがないと、芽を出さないので
しょう。
総本山醍醐寺の修行道場の 『 伝法学院 』 には中央に大きな蓮池を囲むよ
うに、正面に本堂、両脇に僧坊、手前に食堂 ( じきどう ) を配していま
す。
院生の修行を見守るかのように、一緒に大きく成長し、見事な花を開花して、
実を結んでいくそうです。
このことは私は見たことがありません、が、修行した 『 崇正 』 はこのハ
スの花が、自分たちよりも大きく成長していくさまは、とても感動的だったそうで
す。
伝法学院には 『 仏の芽を出せ! 』 という願いを込めて、蓮池を作ってあ
るのでしょう。
『 蓮 』 は何時見ても好きな花です。大きな葉も花も、そして最後に枯れた
姿もとても風情があるものです。
近はたくさんの蓮畑がありました。最近は蓮の田圃も見かけなくなり、荒地になっ
たり駐車場や家が建っています。
今日間違って、道を間違えたら、小さな蓮の田圃に出会いました。
蓮だけは、枯れても趣があります。枯れてしまっても、死んでしまったのではな
く、次の命を感じるのです。
『 ドロ沼の どろに染まらぬ ハスの花 』
という歌がありますが、生きている世界はドロ沼の世界ですが、そのドロ沼でな
ければ、あの綺麗なハスの花は咲かない、綺麗なところへ逃げても花は咲かないの
でしょう。この苦しい現実にこそ悟りの世界はあるのだということを象徴している
のです。
そして、ハスの実は1000年でも眠り続けるのです。
熊本の国府高校で縄文時代のハスが開花しました。
ハスの実はすべての人の心に宿っている仏さまの心を表しているようです。
今は眠っているかもしれませんが、その時が来れば必ず芽を出し、花開く
その時というのが 『 傷 』 なのです。
傷つけられた種が目を覚まし、芽を膨らましていく、
仏の芽も、 『 クッソ~ 』 と思うようなことがないと、芽を出さないので
しょう。
総本山醍醐寺の修行道場の 『 伝法学院 』 には中央に大きな蓮池を囲むよ
うに、正面に本堂、両脇に僧坊、手前に食堂 ( じきどう ) を配していま
す。
院生の修行を見守るかのように、一緒に大きく成長し、見事な花を開花して、
実を結んでいくそうです。
このことは私は見たことがありません、が、修行した 『 崇正 』 はこのハ
スの花が、自分たちよりも大きく成長していくさまは、とても感動的だったそうで
す。
伝法学院には 『 仏の芽を出せ! 』 という願いを込めて、蓮池を作ってあ
るのでしょう。
『 蓮 』 は何時見ても好きな花です。大きな葉も花も、そして最後に枯れた
姿もとても風情があるものです。