善もせず 悪も作らず
死ぬる身は
地蔵笑わず 閻魔叱らず
式亭三馬 辞世の句
お盆の行事も棚経参りも終わり、明日の 『 万灯会 』
精霊送りのお参りで無事終了ということになります。
お盆の三箇日は、ご先祖様方が帰って見えられ、
その時だけ、地獄の責め苦も休憩で、閻魔様も一休み、ということなのでしょう。
「 ウソついたら閻魔様に舌ぬかれる ! 」
子どもの頃はよく言われました。
今の子どもさん方はどうでしょうか ?
そんなこと迷信や ! といって信じる人もいなくなったのかもしれませんが、
私たちの子どものころは、心のどかに信じているという、怖さがありました。
閻魔様の左手には 『 閻魔帳 』 が握られています。
私たちのしたことを全部、記録されているのです。
閻魔様の前に行って、どんなにゴマカソウとしても、そこには
『 浄玻璃の鏡 』 というものがあって、自分のしたことが映し出されるのです。
しかし、人間の 『 心 』 は貯金箱のようなもので、
自分のしたことが、意識する、意識しないにかかわらず
全部、心の中のハードディスクにインプットされていくのです。
そこが一番怖いところです。
ウソついてごまかした !
その場はそれで事なきをえて、無事に過ごしますが、
「 ウソついてごまかして、無事に過ぎた、ということまで、心の中に貯金するのです 」
絵を描いて、失敗して破って捨てた、
その絵はなくなってしまいますが、
「 絵を描いて失敗して、破って捨てた 」 ということまで記録していく
という、心の怖さがあります。
『 閻魔帳 』 という表現を昔の方はとりましたが、
あながち間違ってはいないようです。
自分のしたことを、心は、黙って貯金していくのです。
その貯金した利息によって、自分を作り上げていくのです。
自分自身は正確無比なコンピューターを持っているのと同じです。
自分にとって都合のいいことも悪いこともすべて貯金していきます。
式亭三馬は
「 地蔵笑わず 閻魔叱らず 」
と、言ってのけてますが、自分のしたことの責任感からの言葉なのでしょう。
死ぬる身は
地蔵笑わず 閻魔叱らず
式亭三馬 辞世の句
お盆の行事も棚経参りも終わり、明日の 『 万灯会 』
精霊送りのお参りで無事終了ということになります。
お盆の三箇日は、ご先祖様方が帰って見えられ、
その時だけ、地獄の責め苦も休憩で、閻魔様も一休み、ということなのでしょう。
「 ウソついたら閻魔様に舌ぬかれる ! 」
子どもの頃はよく言われました。
今の子どもさん方はどうでしょうか ?
そんなこと迷信や ! といって信じる人もいなくなったのかもしれませんが、
私たちの子どものころは、心のどかに信じているという、怖さがありました。
閻魔様の左手には 『 閻魔帳 』 が握られています。
私たちのしたことを全部、記録されているのです。
閻魔様の前に行って、どんなにゴマカソウとしても、そこには
『 浄玻璃の鏡 』 というものがあって、自分のしたことが映し出されるのです。
しかし、人間の 『 心 』 は貯金箱のようなもので、
自分のしたことが、意識する、意識しないにかかわらず
全部、心の中のハードディスクにインプットされていくのです。
そこが一番怖いところです。
ウソついてごまかした !
その場はそれで事なきをえて、無事に過ごしますが、
「 ウソついてごまかして、無事に過ぎた、ということまで、心の中に貯金するのです 」
絵を描いて、失敗して破って捨てた、
その絵はなくなってしまいますが、
「 絵を描いて失敗して、破って捨てた 」 ということまで記録していく
という、心の怖さがあります。
『 閻魔帳 』 という表現を昔の方はとりましたが、
あながち間違ってはいないようです。
自分のしたことを、心は、黙って貯金していくのです。
その貯金した利息によって、自分を作り上げていくのです。
自分自身は正確無比なコンピューターを持っているのと同じです。
自分にとって都合のいいことも悪いこともすべて貯金していきます。
式亭三馬は
「 地蔵笑わず 閻魔叱らず 」
と、言ってのけてますが、自分のしたことの責任感からの言葉なのでしょう。
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