本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 天 」 という ほとけさま

2013-04-02 21:46:34 | 住職の活動日記

 「 ほとけさま 」 といっても、

いろいろな姿かたち、そして働きも違った、

方たちがたくさんいらっしゃいます。

 

 「 阿弥陀如来 」 とか 「 大日如来 」

「 薬師如来 」  といった、 『 如来 』  と名のつく仏さま。

そして、 「 観音さま 」 として知られる 「 観世音菩薩 」

「 地蔵菩薩 」 といった 『 菩薩 』 といわれるほとけさま。

とても馴染みの深い 「 大黒さま 」 という 「 大黒天 」

「 弁天さま 」 といわれる 「 弁財天 」

というように、 「 天 」 と名のつく仏さまがいらっしゃいます。

その中でも、一番くらいの低い方が 「 四天王 」 といわれ、

一番上にいらっしゃる方が 「 有頂天 」 という

ほとけさまです。

 

 人間の心の状態を十の位に分けて説明します。

   地獄

   餓鬼

   畜生

   修羅

   人間

   天

   声聞

   縁覚

   菩薩

   如来

「 地獄 」 から 「 天 」 までが迷いの世界

「 声聞 」 から 「 如来 」 までがほとけの世界です。

 

 「 天 」 という仏さま、人間と仏さまの間にいる方です。

面白い位置関係です。

人間からいきなり仏さまになるのではなく、

「 天 」 という世界を超えて、ほとけになっていく

三島由紀夫の小説で有名になった

『 天人五衰 』  ということも、

この 「 天 」 という世界を象徴しています。

 

 天 という位というか、仏さまは

人間が考えた最高の状態、ということを表しています。

人間が望むことはすべて満たされた、

という世界です。

 では、それで満足かと言うと、そうではなく

「 天人五衰 」 ということがあるのです。

天人が滅びていくなかで、特徴的なのは、 

「 自分がいまいる境遇に満足できない 」

ということがあります。

 

 そこからやっと 「 ほとけの世界 」 が始まっていく、

『 天 』  という世界は、大きな転換点をあらわしています。

 

 「 人間が終わるところ、仏が始まるところ 」

 

という、二つの意味を持っています。

 『 十界 』  という、一つの道程に見えますが、

人間の延長線上に仏があるのではなく、

別物ではないのですが、

人間の中にあるのですが、

人間を否定して生み出してくる

そこに、一線を画している 「 位 」 が

「 天 」 という立場です。

 

 先ほど、ふっ~っと 出てきたのが、

人生でいう 「 定年 」 ということは

一つの区切りでもあります。

 今までの自分に死して

( 積み上げてきた実績とか世間でいう地位財産もろもろに、

  別れを告げて )

新しい、新の自分として生きなおしていく

ということと、

仏教でいう 「 天 」 という世界が

重なって見えたのです。

 

 人間は常に誕生を繰り返しながら

生きていくものだと思います。

 年を重ねるごとに、誕生を繰り返していく

そこが 「 無我 」 ということでしょう。

 が、反面、自分の執着をきれいさっぱりと

切り捨てることが出来なくて、

悩むというか執着している自分もあるのです。

 

 いま、密かにチャレンジしてみようと思っていること

それを書き出しています。

 もう時間がないといえば、そうなのですが

どこまで出来るかわかりません。

 読み深めなければならない本がたくさんあり、

それを考え自分の心にしみこませるには

時間が足りないかもしれません。

 

 いっぽ いっぽ  です。

 

 

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