朝の勤行に 『 唯識三十頌 』 を
新たに読み始めました。
巡礼にお参りに見えられる。
「 ぶつせつ まか はんにゃ …
しきそくぜくう くうそくぜしき 」
なんともたどたどしい、
( お経は基本2字ずつの組み合わせ、
。とかで区切るのではなく、
二字ずつ区切って読むと
しゃりししき・ふいくうくう・ふいしきしき・
となるのです。
ところが、。で区切ると
しゃりし・しきふいく・くうふいしき
しきそくぜくう・くうそくぜしき
舎利子。色不異空。空不異色
なんともリズミカルではなく、
お経がブツブツと切れて、
聞いていても心地よいものではありません。
と、人のことは貶して聞いていたのです。
ところが、自分が 「 唯識三十頌 」 を読み出すと、
まったく素人さんと同じように、
読めない
最初の方はまだしも、読むにつれて
「 かいさんじゅそうおう しょへんぎょうそくとう … 」
なんとも、一字一句口が回らない。
読み慣れた 「 理趣経 」 というお経、
漢音で発音するせいか、読み方が全く違う、
でもそれが不思議なリズムを醸し出していて、
聞く方にはとても新鮮な響きに聞こえるようです。
最近感じたのですが、
年のせいもあってか、口が回らない
読みなれたお経はそのような口になっているのです。
ところが話す段になると、新しい言葉とかは
舌をかんでしまいます。
とても話しづらく思うことが度々です。
唯識三十頌 」 も勉強としては
繰り返し読むのですが、
お経のように声を出して読むとなると、
ほんとうに読めないものです。
すらすら読めないのは歯痒い思いもしますが、
これも、初心に立ち返り、
遅くとも、ゆっくり声を出して、
読み込んでいかなければなりません。
そして、小僧さんが習うように
繰り返し繰り返し、その口になるまで
唱えなければいけないようです。
黙読すればいいようなものですが、
やはり、大きな声で読んでいくということも、
お経の文字一つ一つに新たな発見があるようです。
そんなわけで、
今小僧さんの気分で
大きな声で読んでいるのです。
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