朝目が覚めたら69‥‥
数え年でいうと70、古希
昔であれば、「古来稀也」と
大変めでたいことです。
今日も、「さくら祈願」で
早朝より、
お子さんたちがお見えになって
子供山伏に身支度を整えておられます。
国造神社へ参拝の後阿蘇神社へ
醍醐の桜にお水をお供えし
熊本震災の復興を祈願します。
今夜は、
皆一緒に一つの大きな部屋で休み
団体生活の体験です。
明日は加藤神社へ参拝、
鐘楼堂の開眼法要へまいります。
お寺ではその準備で
毎日、寝る間を惜しんでの
仕事が続きます。
大変とは思いますが、
忙しいということはそれだけ
その人が必要とされている
ある面、
わからないかもしれませんが
人生の中で一番輝いている
黄金の日々を過ごしているとも
いえるのです。
平等に与えられた24時間
どのように過ごすか
その時その時に応じて違ってきます
69年使い続けるとなると
いろんなところも傷んできます
病院通いも大変です。
しかし、与えられた時間を
どのように使うか
体を動かすことは苦手になってきて
思うように動けません。
その反面、
事業ということも、
ものを作るだけでなく
思想の事業ということもあります。
ただ体験だけいっていても
ややもすると間違った方向へ
行ってしまうこともあります。
気持よかったとか、楽になったとか
お参りして有難かった
というだけでは人生深まりません
そこには世界観の事業というか
思想の事業ということを
確立していくという
最も大きな事業が残っています。
三昧ということも
具体的には「ものそのものとなる」
ということがあります。
今回の事業でも
さくら祈願でも梵鐘開眼でも
そのものとなって仕事する
そうすれば仕事が語ってくれる
仕事自身が自己を語っていく
そこに大きな世界が開けてくると
今は、忙しさで
よく分からないかもしれませんが
本当に三昧の仕事をしている
黄金の日々を送っている
それは血となり肉となって
一生の自分の宝物だと思います。
みな、ガンバレ
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