本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

One is All All is One

2019-03-12 21:12:54 | 住職の活動日記

似たような言葉に

One for All All for One

というがあります。

どちらかというとこちらの方が

有名です。

ラグビーの用語のようです

「一人はみんなのために

 みんなは一人のために」

と簡単に言っていますが、

そうではなく、

「一人はみんなのために

 みんなは一つの目的のために」

ということのようです。

 

これが、

for と is とでは

意味も違ってきます。

仏教でいう、

「一即一切 一切即一」

ということを英語で表すと

One is All All is One

となるようです。

たぶん?

最初に言われたのは

鈴木大拙という方だと思います

『仏教の大意』という

『Essence of Buddhism』

と英訳もされましたが

昭和天皇に講義されたものが

このような本になったのです。

随分前の話で、

大学の授業でこの本を読んだ

のですからあやふやですが。

 

一即一切ということも

よく考えれば分かったようで

分からない。

前にも書きましたが

モナドというところで、

読み返していたらふと思い返して

 

「十方衆生ということがありますが

個というものは、

十方衆生の中の一人であるけれど

また十方衆生を代表する一人だと。

一人一人が寄って全体になる

というのは、私ワタクシです。

そうではない。

一人が全体だと。

全体の一人であるとともに

また一人が全体である、

というところで一人というものが

成り立つ。」

 

勉強会があったのですが

本当は自分が主人公なのです

しかし、

お客さんになってしまって

聞いている。

聞法ということも

私一人がため、ということが

あるように

自分が真になって聞かなければ

いけない問題です。

ご飯もトイレも人に

代ってもらうことができないように

自分のこととして聞かなければ

まあ、座って聴いていれば

なんとかなるでしょう、

ということではないのです。

 

しかし、

「仏法は毛穴から入る」

ということもありますので、

そういう空気の中にいるという

ことも大切です。

聞いてどうするこうする

ということもないのですが

ただ傍観者ではいけない

ということです。

 

いきなり、

勉強会に出る、聞法会に出る

ということも

自分の問題として聞くという

こともありますが

それには機が熟すという

こともあります。

そういう人にはほんの一言で

ピシッと心に入ることも

あるようです。

 

ただ、

会があるということが大切で

この損得の世界に

ソロバン勘定を外した話という

ことは貴重なのです。

 

また、「無住所涅槃」

ということもあります。

具体的には、

その場その場で主となるという

ことです。

一即一切、一切即一

そこには私ではなく、個として

独立した人

そういう人とと人との関係が

一即一切 一切即一

ということを表すのでしょう。

 

「自分は自分の責任者」

ということがあります。

耄碌しないようにしっかりと

歩んで行かなければと

あらためて心しました。

 

 

 

 

 

 

 

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