おもしろいもので、善玉菌・悪玉菌、のほかに
日和見菌というのがあるそうです。この菌は都合に合わせてどちらにも傾くよう
で、善玉菌が多いと善玉になり、悪玉菌が多いと悪玉になるそうです。
無党派層みたいなものでしょうか。
腸の中でもそういう、微妙なバランスの世界なのかと驚かされます。
仏教でも、善・悪、そして無記( むき ) ということがあります。
これは日和見菌とは違って、どちらかに偏るということではありません。
善にも悪にも属しない、ということなのです。
西洋的な考え方は、善か悪か、の二元論のような気がします。
映画にしても、悪者をヒーローがやっつけるという構図が多いようです。
東洋的な考え方には根底に、善でも悪でもない、無記とか
または、苦・楽 ( お釈迦様の場合は苦しい修行、その後の静かな瞑想 )
のどちらにも偏らない、『 中道 』 という考え方が
流れているように思います。
この考え方はとても大事なことではないでしょうか。
これは読み返してみると、仏教の根幹の教えです、とても大雑把に書いてしまいました
今日のところは、ただこういうことがあるということをご理解ください。
日和見菌というのがあるそうです。この菌は都合に合わせてどちらにも傾くよう
で、善玉菌が多いと善玉になり、悪玉菌が多いと悪玉になるそうです。
無党派層みたいなものでしょうか。
腸の中でもそういう、微妙なバランスの世界なのかと驚かされます。
仏教でも、善・悪、そして無記( むき ) ということがあります。
これは日和見菌とは違って、どちらかに偏るということではありません。
善にも悪にも属しない、ということなのです。
西洋的な考え方は、善か悪か、の二元論のような気がします。
映画にしても、悪者をヒーローがやっつけるという構図が多いようです。
東洋的な考え方には根底に、善でも悪でもない、無記とか
または、苦・楽 ( お釈迦様の場合は苦しい修行、その後の静かな瞑想 )
のどちらにも偏らない、『 中道 』 という考え方が
流れているように思います。
この考え方はとても大事なことではないでしょうか。
これは読み返してみると、仏教の根幹の教えです、とても大雑把に書いてしまいました
今日のところは、ただこういうことがあるということをご理解ください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます