本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

計度・忖度 (けたく・そんたく) 

2015-11-04 20:36:39 | 漢字

『度』という字も面白く、

普通は「ど」と読みますが、

「たく」という読み方もあります。

一般的には「忖度」(そんたく)という

字がよく使われます。

相手の心を推し量る、という意味で

「忖」(そん)も「度」(たく)も

はかる、という意味です。

 

また、昔の手紙とか見ると、

「~いたしく候」とか「~下されく」

というように使いました。

だから(たく)という読み方も

昔はよく使ったのでしょう。

 

仏教用語としては

「度」という場合は

普通はサンズイが略され「渡」という

渡るという意味で使われます。

「得度」とか、

剃髪して仏の世界へ渡って行く

という意味、

六波羅蜜のことも「六度の行」

というようにあらわします。

波羅蜜が彼岸へ渡るという

ことですから、波羅蜜多のことを

サンズイをとって「度」というように

いううのです。

 

また、これも独特な読み方で

「計度」(けたく)と読み、

(けいど)とは読みません。

お経の中では「計度分別」

(けたくふんべつ)という語句で出てきます。

仏教では「推し量る」という「計度」も

人間の心分析する大切な言葉として

使います。

味わったり、目で見たり、鼻で嗅いだりと

そういう意識を五つで表します。

眼・耳・鼻・舌・身という五識で、

これはないものは意識しないのです。

その次の意識、第六識は

ないものまで意識するという

厄介な一面を持っています。

 

取り越し苦労というか

今ないものまで、あれこれと

心配事は絶えないものです。

ところが、「心配」というのは

分別なのです。

ない未来を推測しているのですから、

心配は必ず未来と関係している。

心配することが本当に有るように

固執するのですから心配なのです。

だから、明日のことを考えると

心配で心が暗くなってくる。

 

そのように一つの例ですが

今はないけど、

あるかのごとく心配して

心をめぐらしていることを

「計度分別」といいます。

その分別にとらわれて

執着するから、それに縛られます。

 

忖度のおしはかるということも

計度のおしはかることも

相手の心を思いやって推し量る

のはいいのですが、

余計な心配までして、

それに縛られ暗くなったり

妄想を膨らまして、

大変な方向になってしまったりと

心配したことがあるかのごとく

執着することが

大きな問題になるのです。

 

「事実は明るい」

ということをいいます。

ちょっとしたタイミングのずれで

挨拶できなかったりしたことが

相手は自分を嫌いに

思っているのでは…??

と妄想が出てきたりするものです。

会って話してみると

何でもなかったということがよくあります。

 

この計度分別ということも

人間の微妙な迷いの心を

的確に押さえたものです。

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