本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

信は荘厳より

2018-06-28 18:38:26 | 住職の活動日記

荘厳と書いて、普通は「そうごん」

と読み、仏教では「しょうごん」と

読みます。

どれだけ信仰が心の内にあっても

お仏壇とか堂内が雑然としていたのでは

そこには信仰心は出てこない

のではないっででしょうか。

 

 

お不動さまを控えて

まずは仏具磨きから始まります

 

 

力を込めて

自分の煩悩を削り取るように

磨いていきます

 

 

荘厳も出来ました

また護摩を焚くと煤けていきます

そしてまた磨くのです。

 

何もこれはお寺に限ったことではなく

お店にしてもきちんと心配りされた

ところには気持ちも安らぐし

店に入っただけで心が和むものです

 

 

昔からお知り合いのお店

隅々まで行き届いて落ち着きます

 

 

上がり口には小さなイスが

このイスに腰かけて靴を履く

ちょっとした心遣いです。

 

お茶の世界でも

客を招く、庭を掃き清め

水を打つ、そして

足元の植木の葉を手ぬぐいで

ふき取っていく

一歩足を踏み入れただけで

心がびっしとなるような

緊張感が伝わってきます。

 

心が和むということには

ただ安らぐということもありますが

一本筋が通った緊張感も

大事なことと思います。

そういうことが

荘厳ということでしょう。

 

また、

いのちの荘厳ということも

あるようにも思います

 

 

お寺にやってきてもう13年ほどに

なるのでしょうか

「こころ」君もいのちの限りを

生き抜いています

もう駄目かもと言われながら

一日一日、自分のいのちを荘厳して

生きているようです

 

 

ちょっといたずらで

頭をモヒカンにされようと

黙ってじっとしています。

 

そういえば、

お寺の小さないのちたちも

日々元気に大きく育っています

 

 

まあ、なんと言う数でしょう

数えられないくらいの小さないのち

 

 

全部が大きくなったら

この池に入りきれるでしょうか

 

例のカブトムシも脱皮して

 

 

分かりにくいのですが

角も生えてきているようです

 

 

右のものが脱皮した抜け殻

その奥がご本人です。

いのちもそれ自身、荘厳された

もののように感じます

 

 

線路沿いのオシロイバナも

時期になると咲き出しました

雑草と見る人もいれば

いのちの輝きとも見れる

花々がここで自分自身を荘厳している

 

 

そう見ると気高くも神々しくも

見えてくるものです。

 

荘厳ということも

色々見ていけば面白い

何とも不思議な世界のようです。

 

 

 

 

 

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