本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

絶体絶命の状況なんですが

2024-04-24 20:45:41 | 十地経

こういう喩話があります

王様に罰せられるのを恐れ

逃げた、怒った王様は

酔った象で追いかけた。

やっとの思いで

丘の上にある古い井戸を

見つけて、

井戸の途中にある草に

つかまって難を逃れた。

しかし、よく見ると

井戸の底には悪龍が毒を

吐いている。

さらにその傍には

五匹の毒蛇が危害を

加えようとしている。

さらに悪いことに

掴まった草を二匹の鼠が

その草をかじっている。

その時、

頭の上の木から蜜が滴り

落ちてくる

しばし、その美味しさに

酔っている。

 

こういう物語なんですが

他人事ではなく

まさに私たちのいる状態を

表しているのです。

 

同じような話で

先程の二河白道の譬喩も

そういうことを

表現しているのです。

絶体絶命の状態ながら

躊躇している、

というのが私たちの

あり方なんです。

 

「自分を固執する意識、

それが躊躇するんです。

自分が自分だという、

自分を離したくないという

心が躊躇する。

 

真理に任せたら

任せた心は脅えないですけ

ど、任せん心が脅えるわけ

です。

そういうような気持ちを

二河白道、二河の中に

細い道が貫いているという

形で表している。

 

白道があるんだから、

信じているだけど、

そこに自分が立てない。

絶えず、

水と火との間に動揺して

いる。

どうにもならんところは

居れないところなんです

 

自分の命は限られている

んですから、

時間とか、

そういうものがつまり、

群賊悪獣として象徴されて

いる。

そこでさあ、

帰るも死する。

群賊悪獣に食われるから。

行くも水火の二河で死なん

ならん。

それじゃそこに

止まっているかというと

止まっておれんところに

きている。

止まれるわけがないから、

帰るも死するし、

行くも死するし、

止まるも死すると、

こういうんです。

 

そこまでなかなか

色々やってみるです、

手を尽くすんだ。

東西に行けんなら、

南北に行けんかと

避けるんです。

逃避や。

酒もあるし、

異性もあるしさ。

そういうこともあるけど

そんなものはすぐに

醒めてしまうですね。」

 

何かしら

同じ話のようですが

置かれている

私たちの存在は

絶体絶命という立場に

立たされているのです。

こういう状況なのに

落ちてくる蜜の味に

酔っているという、

いろいろ酔わせるものが

周りにはありますが、

逃げれない状況にきて

いるということです。

 

 

 

 

コメント
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