本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「しあわせ」と「ハッピー」

2020-12-02 20:07:44 | 住職の活動日記

「あなたを幸せにします!」

とか、

「わたし幸せになります!」

など、

どういうことが幸せなのか

分かりませんけど

簡単に幸せを連発しています。

 

しかし、このことも

以前から気になっていたのです

高校生の時

ヒルティ―の「幸福論」という

本を読んだことがあります

何が書いてあったのか

覚えていませんが

幸福ということが気になって

いたということでしょう。

 

また、横文字ではハッピーと

幸せな気分の時

「わたしハッピー」と

連発しています。

 

しかしながら

文字というものは

成立ちはよくできたもので、

幸せという「幸」という字は

夭ヨウと屰ゲキから出来ていて

夭は若死ということで

屰は反対の意味を持つので

死ぬべき時に死を免れる

という意味です。

 

簡単に幸せといいますが

その成り立ちは深い意味があって

死ぬべき時に死を免れた

という喜びというかよかった

そこから幸せという字になった

 

昔は人生50年

いや、もっと早く若死する

ということは当たり前だった

そういう状況のなかで

死を免れたという

そこに本当に幸せという

感情が湧いて出たのでしょう。

 

意味の内容から似たものに

「有り難う」

という言葉があります。

これは仏教用語で

「軈てヤガテ死すべきものの

 今いのち有るは有り難し」

いつ死ぬか分からない

そういう中にあって

今いのちがあることは

有ること難し

有りうべからざることがあった

そいう内容を含んでいます。.

 

では、英語のハッピーは

「ハッピー」というと何だか

軽い気がしますが、

この言葉もなかなか

Happyということも

Happenというたまたま偶然に

起こるということが語源で

偶然の幸運がたまたま起きた

ということです。

 

どちらの言葉も

その成り立ちは何かしら

意味深いものを含んでいます。

 

お経を読む時

最初に唱えるのは「開経偈」

といって、

「無上甚深微妙法

 百千萬劫難遭遇」

この上なく深くて微妙で妙なる

法は、百千萬劫という

とてつもなく長い時間の中で

たまたま出遭うものである

というような意味ですが

「難遭遇」遭うこと難し

どれだけ長い時間を費やしても

遭うことが出来ないのだ、と

その法にゆくりなくもたまたま

出遭うことが出来たという

喜びの言葉です。

 

すべてのことはたまたまです

出遭うことも死を免れることも

偶然のなせる業

その偶然をただよかったと

受け流してしまうのではなく

そのことを自分のことと

引き受けて

ゆくりなくも出遭いがあった

であればその出会いを大切に

してゆくところに

幸せということも

ハッピーということも

単なる幸せではなく

出会うまでの縁の深さを思うと

受け取り方も違ってくるようです

 

人と人との出会いも

こんにちは、さようなら

という出会いもあれば

目と目が合った瞬間から

この人でなければという

出会いもあります。

 

しあわせということも

その文字の成り立ちを見て

思い直してみると

さらに幸せという感情が

深くなるように思います。

 

 

 

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