父である 『 亮辯法印 』 ( りょうべんほういん ) の四十九日、
『 満中蔭 』 を迎えました。
法要もお納骨も無事済ませ、そろってお斎を頂きました。母の挨拶の中で、父が
苦労して、大きくなったことを聞きました。そして今、家族そろって法事を済ませ
ることが出来たことが何よりもうれしかったようです。
私たちにとりましても、不思議な有り難い時間を過ごさせていただきました。
毎週毎週、家族や縁ある方々が集まってお参りをし、後でお茶を飲みながら、いろ
んな話ができました。
これも父のお陰だと思います。
普段は、それぞれ近くには居るのですが、そうめったに顔あわせてゆっくり話すこ
ともありません。
9月という月は、お寺にとって一番忙しい月です。お彼岸はあるし、秋の大祭も
あります。父の中蔭のお勤めもしながら、思い返すと、何月何日ということではな
く、ただただ一つ一つの行事として丁寧に勤めてきたような気がします。
ですから、一息つく暇もなく、9月という月がなかったようにも感じるのです。
気がついてみたら、10月になっていました。
通りすがりに、父の入院していた病院を見上げます。あの後すぐに、病室のリフ
ォームにかかられているようです。
あの部屋へ行けばいつでも会える、と思っていましたが、本当に居ないのです。
その部屋すらもなくなっています。
これからが本当の父との出会いを求めて、その道のりが始まるような気がしま
す。皮肉なもので、いるときは、出会っているのに出会えてないのです。
父の死、ということを縁にして、これからが親父探しの旅でしょう。
『 満中蔭 』 を迎えました。
法要もお納骨も無事済ませ、そろってお斎を頂きました。母の挨拶の中で、父が
苦労して、大きくなったことを聞きました。そして今、家族そろって法事を済ませ
ることが出来たことが何よりもうれしかったようです。
私たちにとりましても、不思議な有り難い時間を過ごさせていただきました。
毎週毎週、家族や縁ある方々が集まってお参りをし、後でお茶を飲みながら、いろ
んな話ができました。
これも父のお陰だと思います。
普段は、それぞれ近くには居るのですが、そうめったに顔あわせてゆっくり話すこ
ともありません。
9月という月は、お寺にとって一番忙しい月です。お彼岸はあるし、秋の大祭も
あります。父の中蔭のお勤めもしながら、思い返すと、何月何日ということではな
く、ただただ一つ一つの行事として丁寧に勤めてきたような気がします。
ですから、一息つく暇もなく、9月という月がなかったようにも感じるのです。
気がついてみたら、10月になっていました。
通りすがりに、父の入院していた病院を見上げます。あの後すぐに、病室のリフ
ォームにかかられているようです。
あの部屋へ行けばいつでも会える、と思っていましたが、本当に居ないのです。
その部屋すらもなくなっています。
これからが本当の父との出会いを求めて、その道のりが始まるような気がしま
す。皮肉なもので、いるときは、出会っているのに出会えてないのです。
父の死、ということを縁にして、これからが親父探しの旅でしょう。
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