昨日の毎日放送「ちちんぷいぷい」
の番組に熊本の玉名にある蓮華院が
登場しました。
この番組の中の「修行場めぐり」
という企画、43回続き
今回が最後ということで
熊本の蓮華院での修行となりました。
「河田アナウンサー」と
「くっすん」という二人組が
各地のお寺で滝に打たれたり
水行したり、護摩の法要に参加したり
厳しい修行に挑戦するという
ことなのです。
煩悩を焼き払うという
その為の修行ということなのですが
番組の出演者から
これだけお参りして来たのだから
何か変わりましたか?
という質問が出て来ました。
河田アナウンサーはリードして
くっすんを引っ張るのですが
ダメキャラというか
根が正直というのでしょう
歩く途中でも根をあげてしまい
「がんばりや!」とか
「しっかりして!」という
あばさま方の激励が飛ぶという
そういうキャラクターなのです。
そのくっすんの一言が
なかなかすぐれていたのです。
「やればやるほど自分はあかん」
ということが見えてきた
というのです。
煩悩が少しは消えたとは言わない
ますます、自分の情けなさが
はっきりしてきたと、
私はこういう捉えたかが好きです。
厳しい修行をすれば
何か気分的に清らかになったような
自分の頑張りが見えてきて
少しは自分を克服できたと
思うのですが、
その時はそう思えても
現実に戻ればもとの自分に
帰ってしまい
あの厳しい修行は何だったのか
ということになりかねません。
というのも、
煩悩、煩悩というのですが
この煩悩ということも
分かったようで何が煩悩なのか
分かりません。
煩悩も根本煩悩があって
六大煩悩があり十大煩悩が出てきて
小随煩悩・中随煩悩・大随煩悩と
あります。
この一つ一つが解って
それを対治していくというのであれば
まだしも、
煩悩のなんたるかを分からずに
いたずらに厳しいことだけやっても
本当の対治にはならないと思います
仏教では面白いもので
それと闘ってなくしてしまう
ということではなく
「転じる」
ということがあります。
外国の場合は見ていると
悪を退治して平和にする
という物語がたくさんあります。
東洋の考え方は違って
「転じる」
ということが重要な要素
になっているようです。
大宰府に流された菅原道真
雷神となって都に
災いをもたらすのですが
それを封じ込めたり
やっけるのではなく
神社をつくり神として祀り
今までの災いを転じて
私たちに幸いをもたらす
神として崇め祀るのです。
煩悩もただ悪いものとして
対治して焼き払うのではなく
その煩悩を転じて
菩提とするということが
仏教の根本課題のように
思います。
転じてさらに高めていく
そこに二者選択ということではなく
悪いものを切り捨て
良いもだけを取り入れる
ということではなく
悪いものは断じそれを転じ
善いものは更に善いように勧める
こういうはたらきを
見い出さしていくのが
本当の修行だと思います。
河田アナウンサーとくっすん
これからは東海道五十三次の
道中に出るということです。
河田さんのしっかり者と
どこか緩めのくっすん
面白いコンビがまた新たな道中に
挑戦です
また面白いことが起きるのでしょう
楽しみに拝見していきたいと
思います。
くっすんの
「やればやるほど自分はあかん」
という言葉に心惹かれました
本当の修行とはそういうものでしょう
あかん自分が見えてくる
だからこそ、
また再び修行に励めるのです。
人間死ぬまで修行です。
これで終わりという修行はないのです
くっすん、がんばれ!!
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