自動車つながりで、
むかし、 『 洛南高校 』 には自動車科がありました。
今は、進学校として、とても有名になりましたが、
三浦先生が始められた頃は、 自動車科・商業科・普通科・進学クラス
というふうに分かれていました。
全部 「 進学コース 」 にしたら、と思って、質問したことがあります。
そしたら、
「 機械はウソつかんでしょう !
ネジ一つ取ってみても、ええ加減な締め方してたら
機械は動かない。
自動車という機械を通して、
ウソつかない真面目な人間をつくる、
そして、これからは必ず自動車の社会がくる。」
というのが、三浦先生の答えでした。
なるほど !!
先日来、 『 十地経講義 』 を読み進めるうち、
たぶん、三浦先生が閃かれた、と思われる箇所が出てきたのです。
チョット読んでください、
「 十地経 」 より、
人間が知るというのは、働くことを通して、創ることを通して知る。
人間は精密機械だというけれど、それは人間が精密な機械を作ることに
よって、かえって自分の生理構造を自覚する。
人間は自分を精密機械と見たことはことはないでしょう。
心臓でも、循環系統の構造も見た人はいないでしょう。
人間が精密な時計というものを作ることによって、
その行動を通して、作る自分を自覚するんだ。
作らずして知るということはあり得ない。
なんでも、手を動かして人間は知るんです。
製作を通して人間は認識を得る。
という、抜粋なのですが、
( 話し言葉風なので理解しにくいかもしれませんが )
いま、日本では 「 つくる 」 ということから、
次第に遠ざかっているようにおもいます。
しかし、
面白いことに 『 フィロソフィー 』 という ( 哲学 ) という
言葉で、検索すると、なんと …
『 ホンダ 』 『 京セラ 』 『 トヨタ 』
などの自動車会社とか物作りの会社が出てくるのです。
やはり、「 作る 」 ということは、ただものを作るというだけではなしに
大きな精神構造が肝心になってくるのです。
「 作ることによって、人間を認識していくという 」
三浦先生は 「 洛南高校の自動車科 」 を通して、その生徒たちに
ウソのない世界、真面目にやること
それが人間の本当のあり方ということを、教えていかれたようにおもいます。
そのことが、自分自身を荘厳してくる、
そこに 、 「 功徳 」 が備わってくる。
実際、「 洛南の自動車科 」 を卒業された生徒さんは引っ張りだこだったのです。
今日の 「 十地経講義 」 読み進めるうちにそんなことが浮かんできました。
ので ので …
むかし、 『 洛南高校 』 には自動車科がありました。
今は、進学校として、とても有名になりましたが、
三浦先生が始められた頃は、 自動車科・商業科・普通科・進学クラス
というふうに分かれていました。
全部 「 進学コース 」 にしたら、と思って、質問したことがあります。
そしたら、
「 機械はウソつかんでしょう !
ネジ一つ取ってみても、ええ加減な締め方してたら
機械は動かない。
自動車という機械を通して、
ウソつかない真面目な人間をつくる、
そして、これからは必ず自動車の社会がくる。」
というのが、三浦先生の答えでした。
なるほど !!
先日来、 『 十地経講義 』 を読み進めるうち、
たぶん、三浦先生が閃かれた、と思われる箇所が出てきたのです。
チョット読んでください、
「 十地経 」 より、
人間が知るというのは、働くことを通して、創ることを通して知る。
人間は精密機械だというけれど、それは人間が精密な機械を作ることに
よって、かえって自分の生理構造を自覚する。
人間は自分を精密機械と見たことはことはないでしょう。
心臓でも、循環系統の構造も見た人はいないでしょう。
人間が精密な時計というものを作ることによって、
その行動を通して、作る自分を自覚するんだ。
作らずして知るということはあり得ない。
なんでも、手を動かして人間は知るんです。
製作を通して人間は認識を得る。
という、抜粋なのですが、
( 話し言葉風なので理解しにくいかもしれませんが )
いま、日本では 「 つくる 」 ということから、
次第に遠ざかっているようにおもいます。
しかし、
面白いことに 『 フィロソフィー 』 という ( 哲学 ) という
言葉で、検索すると、なんと …
『 ホンダ 』 『 京セラ 』 『 トヨタ 』
などの自動車会社とか物作りの会社が出てくるのです。
やはり、「 作る 」 ということは、ただものを作るというだけではなしに
大きな精神構造が肝心になってくるのです。
「 作ることによって、人間を認識していくという 」
三浦先生は 「 洛南高校の自動車科 」 を通して、その生徒たちに
ウソのない世界、真面目にやること
それが人間の本当のあり方ということを、教えていかれたようにおもいます。
そのことが、自分自身を荘厳してくる、
そこに 、 「 功徳 」 が備わってくる。
実際、「 洛南の自動車科 」 を卒業された生徒さんは引っ張りだこだったのです。
今日の 「 十地経講義 」 読み進めるうちにそんなことが浮かんできました。
ので ので …
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