本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

『 道具 』  京都和久傳さん

2013-02-15 07:15:37 | 住職の活動日記

 「 道具 」 という、

すばらしいものが出来てくるのは、

自分に合った 「 道具 」 があればこそ

と思います。

 職人さん方が見事な品を作っていかれるのは

工夫されたら道具を使いこなされるからです。

 私たちも、鐘 ・ 念珠 ・ 衣 などなど、

使いやすい馴染む物があればこそです。

 鐘の音色も自分の声の高さにあったものが

あれば、お経もとても読みやすいのです。

 先日訪れた 「 京都和久傳 」

たまたま、カウンター席で目の前で

料理されているところを

拝見することができました。

 よく手入れされた包丁で

お造りを作っていかれます。

 

   

 

「 鱧のうす作り 」 

あの細長い魚です。

それを薄く薄くふぐ刺しのように

すけるように切り分けていかれます。

 その包丁さばきは見事です。

 

   

 

一匹の鱧を 「 出刃 」 を使って

骨をとり、おつくりが出来るように

切り分けていかれます。

 そして、皮を丁寧にはずし

きれいな身ができてきます。

 

   

 

ここは、鯛の切り身を作っていかれます

今見ただけでも3本の包丁を使い分けておられます。

 道具を使いこなしていかれる、

それが見事な料理に変身していくことを

見せていただきながらの食事は

とても興味深く楽しいものでした。

 

 また、今読んでるところで、

『 道具 』  ということを、一語として

考えるのではなく、 「 道 」 と 「 具 」 とわけて

見る見方もあるのではないか ? と、

「 道 」 とは、

柔道 ・ 剣道 ・ 茶道 というように

一つの道を究めていく道程、

仏教では 「 仏道 」 というように

人間が本当の人間になっていく 「 道 」

「 具 」 とは、備わるとか、運ぶ という意味もあります。

大乗仏教とかの 「 乗 」 という意味にもなる、と

だから、 「 道具 」 というのは

人間を本当の道に置くところの道具、

仏道への一つの 「 具 」 ということではないかと、

そういうことが、よみがえり

京都和久傳んさんの包丁捌きを拝見しながら

思っていました。

 

今月も、驚きと感動のある料理を頂き

とても楽しいひと時でした。

 また、来月も京都へ行く用事があるので、

お邪魔できればと、

楽しみにしています。

 

 

 

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