本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

道理に頷く、道理に頭が下がる

2022-05-22 19:57:31 | 十地経

このところの講義で

頭に残った言葉は

「明るく悩め!」

ということです

悩んだ暗くなるだろう

と思うのですが

「明るく困る」と、

 

それで講義では、

「道理というものを

現代の人は忘れとるという。

なぜ忘れたかというと、

それは論理に幻惑される

からじゃないか。

論理は闘争の武器です。

主張の武器です。

相手を倒す武器です。

論理によって人間が救われる

ということはありえない。

 

道理に救われるんです。

感情に救われるんじゃない。

道理に頷くんです。

道理に頭が下がるんだ。

論理に頭はさがりゃせん。

論理は頭を上げるわ。ん。

 

頭が下がるのが救いです。

無条件にやね。

絶対無条件に頭が下がると、

こういうのが

これは存在の道理に触れる

という。

仏道ではこれを忘れちゃ

いかんと思う。

 

仏教学はなんか論理学と

思ったら、

あの、哲学になってしまう。

哲学ということがあっても

それは方便です。

論理的に頭が悪い

ということはなにも、

損するかも知らんけど、

何も人間として恥じゃない。

けど道理に外れたといったら

これは妄想でしょ。

 

だからして、あのー、

多様なものが一つだと

いうようなことは、

論理じゃない、

存在の構造だと思う。

存在論的な構造だと思う。

もっといえば

存在論的真理だと思う。

 

理性という、

理性という具合に、

論理にするというと

発展せんならんね、

相手と相手と戦う

ことによって。

つまり

結論を出してこんならん。

矛盾を解決せんならん。

 

ところが道理は、

矛盾のままが一つなんだ。

解決しとるんだ。

矛盾を解決することによって

矛盾が解決されるんじゃない

矛盾は矛盾のままで

解決しとるんだ。

それが存在の秩序だ。

 

困ることが

困らんようになって

助かるんじゃないんだ。

明るく困ったら、

困ったもんは

はや解決しとるんだ。

明るく困ると。

 

困らんようになりたいと

いうような、

そういう欲を起こすから困る

ま、そういう、

なんちゅうかね

逃げたくなるし、

なんかそういうような

卑怯な心が

人間に起こってくる。」

 

この頃、

聞いた人たちの間で

「明るく悩め」

「明るく困る」

ということがブームでした

悩むということも

苦虫を噛み潰したような顔

になるのではなく

人生のことを真剣に考えると

それは明るい問題でしょう

ただ、

自分に都合のいいようにと

考えてくると

思うようにならないので

暗くなってくるのでしょう。

 

道理に頷けば

明るく困るのでしょう

自分の思うようにと

考えてしまうと暗くなる

その当時はやっていた

コマーシャル

「明るいナショナル」

という言葉が三浦先生の

お気に入りでした。

 

 

 

コメント
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