身近な方が亡くなった
あっけなくも
あまりにも早い死です
ほんの一月前には
身体がしんどい
と言いながらも
一緒に食事をしたのです
ちょうど講義でも
こういう事を話されています
「それでもう
死ぬるときまでね、
あの、
金を貯めることを考えとる。
死ぬときまで、
あの、死を考えない。
死は来とるにもかかわらず、
生というものしか。
何百年でも生きるつもりで
生きとる。
人間が生きとるのは
死すべき生きとるんだと、
こういう感じがないね。」
なかなか耳の痛い話です
身近な人の死にもかかわらず
自分は別もの
自分はまだ死なないと
考えているのです。
そして、やはり
経済問題が盛んで
金の心配ばかりしている
まあ、
老後になるとそのことも
大事な問題です。
また別の本では、
「生は死に終わるのではない
死から生がはじまる。
我々はいつか死ぬのではない
いつでも死ぬという死を
裏にして生きている。
それが無常である。
ある時間がたてば、
やがて
死んでいくのではない。」
というように出てきます。
四苦八苦の中にも
生老病死という四苦がでて
きます
それに愛別離苦と
その反対の怨憎会苦
そして求不得苦グフトック
という
欲しいものが手に入らない
という苦、
最後に五陰盛苦と、
この中でよく分からない苦が
生苦と五陰盛苦です
生苦というのは
生活苦ではありません
元気に生きていても
ふと考えると
その裏にはちゃんと死が
控えているという苦です
だから余計に
自分を忘れようと
レジャーとかに邁進します
五陰盛苦も
五陰というのは私たちの
身体を作っている構成要素
これが盛んというのですが
しかし、
この五陰もいつかわは衰える
ということを
知っているのです
ですから、
テレビのCMを見ていても
アンチエイジングのCMが
いかにも多いのです
それで、
先の講義の続きですが
「死のない生しか見とらん
死というものを自覚して、
死というものを裏において
初めて生というものが
生と感ぜられるわけです。
これは、
人間、
死をもったということで、
人間は不完全なんじゃない、
もう最高の、
人間の生きた、
生ける徴ありというのは
そういうところです。
生ける徴を
そこに見るんじゃないかと
こう思います。」
このようにでてきます。
ドキッとした問題ですが
死があるというのは
不完全なんじゃなく
最高の生きた徴(シルシ)と
いうのは
よく分かりませんけど
救われる言葉です。