本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

空・無相・無願を修して大功徳助道

2021-12-10 20:09:03 | 十地経

「空・無相・無願を修して

 而も大功徳助道を」

という一文が『十地経』に

出てきます。

 

功徳とか利益(りやく)

というと

私達には大きな誤解がある

ようにも思います

ここの神社のご利益スポット

など、

お寺とか神社は必ず

何かのご利益が出ています

 

まあ、お経にも

福徳円満とか功徳、利益

ということが出てきて

また、極楽浄土は

七宝の宝で飾られている

といいます

それを象徴するかのように

お寺は

美しく荘厳されています

そういうこともあってか

ご利益というと

何か金目のものが

得られるような

そういう誤解があるようです

 

講義では

私たちの思いを覆すような

本当の意味の功徳

ということが語られています

 

「大功徳、大・功徳を集める

というんですから、

功徳を集めるといっても

ですね、

幸福になるために、

布施・持戒というよなのが

功徳ですけど、

五念門・五功徳門といって

五功徳門を集めると

いうんですけど、

 

しかし

それはただ人間の幸福を

得るために

功徳を集めるんじゃない。

助道として、

助道、道ですから

無上仏道だ。

無上仏道を助けるもの

として功徳を集める。

これも非常に大乗的なんだ。

 

金なんか儲けん

というようなことを

いっとるんじゃない。

大いに儲けるという。

大菩提のためにですね。

貧乏がええちゅうわけじゃ

ない。

 

声聞・縁覚の教えと違って

菩薩道とか菩薩地という

ものの一つの特色はですね、

豊かさということが

これが非常に大きな特色です

痩せた精神ではない、

豊かさ、内面的豊かさ。

それだから荘厳浄土

というようなことも出てくる

願生というようなことも

これは内面的豊かさ

というものを表しとるんです

 

道を助けるために

功徳を集めるんだ。

自分のために

功徳を集めるんじゃない、

それならば世間です。

功徳というのはこれは

世間的なもんなんです。

功徳というのはね。

しかし

世間的なために

世間的なものを

集めるんじゃない。

出世間の道のために、

世間的なものを集めると。

こういう意味で

大功徳助道を集めると。」

 

こういうように出ています

五念門・五功徳門

というところを読んでみると

得るところの徳を

すべてのものに施す

というのが回向門で

迷いの世界にあって

すべてのものを救うのを

楽しみとする

ということが

園林遊戯地門

オンリユゲジモン とあります

ですから功徳・利益はすべて

人のために施し

また人を救うことが

楽しみとなる

というように

利他ということが中心

のようです

 

よくよく考えてみると

今の私たちはあまりにも

自分、自分という

自分のためということが

強すぎるように思います

なんだか「他」ということを

忘れているよう思います。

 

 

 

 

 

コメント
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