本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

読書百遍意自ずから通ず

2021-12-09 21:11:35 | 十地経

どうも、

理解力がないというか

頭が悪いのか

読んだだけでは理解できず

書いてみてなんとか

解ってくるということで

まず、机に向かい

書き写すところから

始まります

このことも不思議なもので

書きだすと

これが私にとっての

三昧というか

集中できる

一つの行なのです

 

「読書百遍意自ずから通ず」

ということも

よく講義の中で聞いた言葉

なのです

そのせいか

よく記憶に残っています

 

こういう一文があります

「直感が絶えず主導して

いくんです。

直感的なものが反復して。

初めは、何か、いかにも

思いついたときは

全部できたように思うけど、

反復すると

足らんことが出てくる。

それで、足らんことで

もう止めてしまわずにですね

 

東洋の、何というか、

教訓に、学問というものは

どういうものかといいますと

「読書百遍意自ずから通ず」

ということを言いますが、

それしかないと思うですね

 

僕は実際いうとね、

繰り返す以外にないんじゃ

ないかと思うんです。

速成法というんですか

速成法の … 

教育というのはあるかも

しらんけど

それはすぐ後から

剥げてくるんであって、

結局は地道な道を歩くより

手はないんです。

 

反復するんだ。

身に付かんですわね、

速成法では。

だから人間形成ということも

同じ事だと思うんです。

学問は、この頃の学問は、

知的教育で、

もうなんていうか、

詰込みばっかりで、

あかんというけど、

そうじゃないんですわ。

詰め込まないように

してみたところで、

なにも、教育にならせんです

大事なのは、

修道ということを

知らんのじゃないか。

見道が修道によって

完成するということを。」

 

というように出ています。

結局、地道な道を歩むより

手はないということです。

繰り返し、

読んでもいいし、

書いてもいいし、

パソコンに打ち込んでも

なんでもいい

繰り返しやるということが

大事なのです。

 

読書百遍ですから

まだまだ足らないようです。

 

 

 

 

 

 

 

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