虚空ということは
仏教では重要な言葉です
その言葉を反対にすると
空虚となり、
全く違った意味になります。
虚空蔵菩薩という
仏さまがあります
京都では十三参りといって
数え年十三歳になると
智慧を授かるということで
虚空蔵菩薩にお参りします
虚空の蔵
相対するのは地の蔵
地蔵菩薩です
ものを育み育てる大地
その蔵ということで地蔵と
虚空、何もないような
大空、その蔵という
虚空蔵菩薩。
十地経では
少し違った内容で出てきます
「善く、一切国土の道は
虚空の如くである
ということを知って、
而も浄仏国土の行を荘厳する
荘厳浄仏国土の行を起こす」
というような言葉として
出てきます。
講義では
「虚空というようなことも
これは無いということを
表してある。
特定なものではないという
ことを表してある、
虚空というのは。
虚空というのは無礙という
意味です。
何にも、
有礙なるものに
障サえられんという。
何ものにも障えられん、
虚空の如しとこういう。
つまり
障えられんということは
障えるものを容れん
という意味じゃない。
障えるものを容れとるから
障えられんのです。
はねとばすことじゃない。
好きも嫌いも包むからして
好き嫌いに無礙なんだ。
ある、好きとか嫌いとか
特定なものではない、
というでしょ。
特定な、
ある特別にあるものではない
というようなものを表すのが
虚空という。」
というように続いていきます
が、ここは何回読んでも
しっくりこない
分からないところです。
虚空ということは
辞書には
「一切諸法の存在する場
としての空間。
さわりなく(無礙)
さえられない(無障)のが
特徴。
空界(すきま)と区別して
我々の目に見える空(そら)は
空界であって虚空ではない。
というように出ています。
何かしら好き嫌いを超えて
全てを包み込んでいるような
そういうようなものを
虚空というのでしょう。
これが反対になって
空虚となると
現代の大きな問題です
ある充たされた方が
今の現在において
欲しいものがなくなったと
欲しいものはすべて
手に入る
ところがな何かしら
満たされない、という
ことを話しておられました
ある面では「天人五衰」
のような
望む物はすべて手に入れた
しかし
今の境遇に満足できない
それで、天人が滅んでいく
そして、
俗世間に出て
再び苦労してこい
ということがあります。
お金や物や地位があっても
何かしら満たされない
得るものはすべて得ても
空虚であると
こういうことが
現代の問題です。
虚空と空虚
どちらも大きな問題を
孕んでいます。
解決することのない問題
忘れるのではなく
やはり考え続けていくことが
私たちに課せられた
問題なのでしょう。