「方便智発起殊勝の行」
(ほうべんち ほっき
しゅしょうのぎょう)
と読みます
この言葉もよく聞いて
意味も分からず残っている
言葉なのです
方便というと
普通には「嘘も方便」という
ことで、それが行き過ぎて
方便は嘘というように
拡大解釈されています
仏教ではとても大切な言葉で
辞書でもこの言葉だけで
1ページ以上も費やして
説明してあるのです
それほど重要ということです
ウパーヤという言葉を訳して
方便としたのです
もともとの意味は近づける
ということで、
そこから、到達する
という意味もあります
辞書には
巧みにはかりごとを設ける、
向上し進展するための手段
としての行、
というように出てきます
また、色々の種類があって
見てみると
善行を行えば必ず
何々を与えると約束を立てて
導く、
ということも見えます
そういうことから
「嘘も方便」という言葉も
出てきたのではないかと
思うのです
講義では
「無作行を楽しむことという
過失を対治するのはこの、
方便智発起殊勝の行が
対治するんです。」
と出てきます
それから、
「六波羅蜜というのが
あるでしょ。
般若というのがこれが
第六ですね。
般若波羅蜜という。
これは『般若経』から出た
菩薩行という意味です。
『十地経』は菩薩地と
いうんですね。
この六波羅蜜が十地の説に
結合してくると、
今度は逆に六波羅蜜が
十波羅蜜になってくるんです
六波羅蜜が十地という、
その十地の立場から新しく
その、
波羅蜜が展開してくるんです
その第七番目は
方便というんです。方便
それから八は願、
九は力といいます
十は智という。
般若はこれは慧です。
その慧と区別して智という
ものが十番目に生まれてくる
だから、方便、願、力、智
というものが
新しい組織になるですわね。
これはまあ、大体いうと
方便も願も力もみんな
智なんです。」
というように出てきますから
方便ということも
あだやおろそかにはできない
言葉なのです。
「方便智というのは
大慈悲心を方便智という
だからして、
大悲方便に摂せられる
ところの行を廻向と
こういう。
方便、大悲方便から廻向を
展開し、
その廻向によって
大悲方便を満足するという
意味です。」
わかるようで難しい
「衆生というものを痛む
という心がどうして
満足するかといえばですね
もう、
衆生そのものとなる
という意味ね。
如来が衆生そのものとなって
衆生を逆に如来にする
というところに
大悲が満足するんだと
こういうように。
方便智発起殊勝の行
これが、その、
楽無作行、
無を愛着しとる心を
破るんです。
立てよ、というような
意味ですね
立ち上がる心です。
愛着しとる心を破るんです
これを突破する。
全身を展開してくるような
意味でしょうね。」
楽無作行
無作の行を楽しむ
なんか楽なことが見つかって
そこに腰を落ち着けて
立ち上がれんのでしょう
何だかわかる気がします
落ち着けたらなかなか
立ち上がれない
そこに
方便智発起殊勝の行
というものが出てくると
だから、方便ということが
とても
大事なハタラキなのでしょう
善巧方便
ぜんぎょうほうべん
という言葉もありますから
善く巧みになされた方便
辞書には
方便について
あちらからもこちらからも
人間の心を見抜くように
説明してあります
方便
難しい問題です。